morisankunの日記

アラサー。

毒親・発達障害系のエッセイ

一度試し読みすると広告に無限に出てきたりするので何作か読んでしまった。

毒親発達障害カテゴリーのエッセイ作品。

 

結論から言うと…全部似てるな!?

いやまあそうなんだよね。「発達障害」の人の「人生=エッセイ」というジャンルの本だから癌の人の闘病記録とかと根本は同じ。人生はいろいろあるとは言っても特定の病気を軸にして描かれた作品だし(発達障害は病気ではないがここまで他人が苦労しているものをそれもあなたの個性だよネッと外野が簡単に言い切ってしまうのもどうかと思う次第)ルートって言うのはどうしても似てしまうよね。

しかし毒親は子供に対して何系の毒かで多少バリエーションあるんだけど発達障害の女性作者のエッセイの基本の構成はほぼ同じ。

 

子供の頃から生きづらさを感じ、他人の言葉に傷ついてきた女性(これはクラスメイトの心ない児童だったり親だったりあるいはどっちも)が

”理解のある彼くん”を見つけて幸せになる、これが概要。

 

発達障害があると大抵は人とのコミュニケーションが難しくなり、仕事でも健常と呼ばれている人よりも苦労して、生活苦に陥って、本なんて出してる余裕もないだろうから

「本を出せる発達障害の人」に限定すると配偶者に恵まれるというのが必須項目になってしまうのかもしれない。

 

今の時代「男に依存しないと幸せになれない女」というのは男女ともから白い目でみられがちなのだが、発達障害エッセイの作者さんは若い男女が少ないと言うか

圧倒的に「ハッピーエンドと言ったら結婚、女は男に幸せにしてもらう」という時代を生きたアラフォー以上の女性が多いようには見受けられる。

そしてアラフォー以上の世代の風潮ゆえに余計に結末は偏って、男を見つけて自分の辛さを背負ってもらい、さらにもう自分が無理して働かなくてもいいから今はハッピーです、と叩かれそうな発言を堂々と披露してくる人が多いんだろうな…とも感じる

おそらくだけど10代20代の若い発達障害の人たちは現在進行形の渦中の真っただ中で自分と戦ったりしていて、落ち着いて筆を取れるようになる年齢がアラフォーあたりということもあるんだろう。

あと十年くらいすると次世代の発達障害レポ漫画が出てくるだろうから結末も変わってくるのかもしれない。

そして男性エッセイストが少ないのは…発達障害の人の場合、空気が読めない事から恋愛に発展しづらく理解のある彼女ちゃんに恵まれにくいってことなんだろうな…

 女の場合は「天然ちゃん」と言ってそのズレたところを好む男性が出てくるから結婚相手としての需要もあるんだろうけど、男の天然ちゃんはよっぽどのイケメンか稼げる人でなければなかなか恋愛結婚相手としては需要が薄く

自力で稼げるのならわざわざ苦手な人間関係を結ぶ必要もない

 

今回何作品か見たけれど、発達障害エッセイって

・本人が学校嫌い

・子供がいる場合は子供にも不登校を勧める

・先生への期待値が高すぎる

・他人が自分の望み通りに動いてくれないことに不満を感じすぎる

 

という特徴が共通項目としてあって、どうも見ていてしんどさがある。

主人公に落ち度がなく、かわいそうな目に合っていたり頑張っていれば応援したいという気持ちがわいてくるが、どうにも作者の言動を見ている限りそういう気持ちがわきにくい。

本を出してまで自分は大変だった、みんなも発達障害のことをわかって!そして優しくして!と言いたい人がそういう傾向にあるだけかもしれないけれど

その人たちが「人の中で生きにくさを感じた」部分…

読んでいて「確かにこの人と一緒にいたくない…」「距離を置いてしまいたいな」と主人公たちの敵サイドに共感してしまうわけである。

まず学校嫌いについて、特に診断名もつかず普通に生きていても学校にいい思い出しかない、という人よりはいい思い出も苦い思い出も両方併せ持っている人の方が多いんじゃないだろうか。

思春期の頃に誰かを無視したり、無視されたりという経験が1度はある人の方が多いと思う。いじめっ子として常に強いグループに属し続けて生きてきた人ももちろんいるだろうけど、そっちの方が少数派だ。 

けれど発達障害の人は極端に学校を嫌う。発達障害自体がそういう「極端な」性質を持つ障害だからこれは仕方のないことだとも思うけど

「自分が、発達障害だから、極端に学校を嫌いなんだ」と自分自身の性質を自覚している人よりも「学校が嫌い、学校は理解がない人ばかり、嫌い」と学校側に全責任を押し付けている発達障害エッセイ作者の方がスタンダードなように見えてキツイ

 

そして発達障害のエッセイストに子供がいた場合、発達障害は子供に遺伝しやすいとも聞く通り高確率で子供も発達障害であり、その子供に学校へ行かないように誘導していくのも見ていてつらい。

「学校なんかいかなくても幸せになれますから!」と持論を全開にして

案外子供たちは友達に会いに行ったり勉強したがったりしていても

母親が学校が嫌いだから、母親が先生を嫌いだから、と学校を嫌いまくるせいで親の顔色をうかがう子ほど学校に行けなくなる…それを自分たちでも自覚しているが根っこの部分の主張を撤回は出来ず、子供を学校から遠ざける方向へと体を向ける。

この手のエッセイの人はよく「自分は毒親の被害者だ」と訴えているが当の本人もしっかり毒親になっているのがいたたまれない。

そしてそういう主張で子供を道連れにするエッセイストに対して「あなたの子供が気の毒だ」という目を向ける登場人物が必ず登場するが、その人たちのことを

「自分たち親子の心を傷つける最低の心ない健常者」として描いたりするのがまたしんどい。

「このままじゃ共倒れだ!ちゃんと子供には検査を受けさせて公的サービスを受けろ、申し込んでおいたから!子供だけでも助けろ、病院に行くんだよ」というこういう人たちの行動で発達障害親子は公的な救済システムに辿り着いたりして具体的に救われていったりするのに、方向を指し示してくれた親切な人のことは「自分たちの心を踏みにじる最低な人」扱いのまま。これじゃ親子を助けた人も浮かばれない。

 

色々読んでいるとこの手の登場人物がエッセイストの中で悪と認識されるのは

「子供を助けようとする」からなのだな…というのが分かる。

「私がつらい、子供は付属品」という思考回路が強すぎて

「子供が可哀想」と言われると「じゃあ私は可哀想じゃないの!?私は私の親に何もしてもらえてないのに!?私は!!?」とかみついてしまう

アダルトチルドレンってやつなんだろう。

本人たちが親の顔色を見て、適切に心を育てられないまま大人になって、また自分の子供にそれを強いる虐待の再生産…。

しかも親として子供を支える存在にはなれず、逆に子供がいることが自分の支えになってしまっているから、誰か他人が子供の自立のために、自分から子供を引き離そうとするとパニックになりヒステリーを起こす

 

先生にもきつくあたる。先生は30人の生徒を請け負っているし、学校に来ない子供や問題を抱えた家庭に対して学校だけで対処は出来ない。

家庭内の問題は家庭内で解決させるもので、頼るなら別のところだろう。

そもそも発達障害を抱えているエッセイストたちの多くはパート程度でも疲れているのに、ハードワークの先生たちが疲れないと思っているのか??そこの想像力が全くなさすぎて読めば読むほど学校の先生が気の毒に思えてくる。

40代くらいの大人なのに下手したら小学生よりも大人任せ…

 

先生だけじゃなく他人も、自分に甘く接してくれる人にべったり依存して

常識的な態度を取る人は悪にカウントしていくから世の中に敵がめちゃくちゃ多い

 

これは…大変だわ…。

 

誰しも完璧な人間ではない。それは自分も、他人も。

だから他人に強くあたらないようにしたい…とそれらのエッセイを見て思った。