morisankunの日記

アラサー。

いじめられっこの特徴

「ボッチだった6ヶ月間」というエッセイを読んだ。

中学三年生…思い出作りに熱くなるイベント目白押しの一番きついタイミングで友達と仲違いしボッチになった記録を淡々と綴っている作品だ。

作者は中高一貫校だったらしく何と言うか…周囲の子のイジメ方が普通に賢い。

作者より周囲の子の方が1枚上手。

証拠に残るイジメにはならないラインで無視している。態度にトゲがあるから分類すればイジメなんだけど見方を変えれば大人の対応とすら言える。そんなライン。

物を隠すとか呼びだして罵声を浴びせるとか王道のイジメはせず、あくまで「気が合わないから距離置きましょう」というスタンスで作者を無視するわけだ。本当に賢い子のイジメかただ。本当に賢い子ならいじめをしないと言いたいが賢い子もいじめはする。

しいて言うなら思いやりのある子はいじめないから、賢くて優しくはない子たちなんだろうけど。

 

大人の社会でも、いわゆる陰キャの世界でもどこでも

「気が合わない人と無理して付き合うことはない」方が賢い、正解とされていて

体育会系の「みんな仲良く」「友達100人できるかな」が害悪と呼ばれる時代。

作者はボッチになって勿論つらかったわけだけど

そもそも好きじゃない子と無理して仲良くする必要がない論を支持すると言うことはそういうことだ。その矛先は自分にも向かってくる。

 

事の発端はプリクラの撮影をめぐるトラブル。

仲間と一緒にプリクラを撮る時に自分の顔が好きではなかった作者はスタンプで自分の顔を隠してしまう。

友達としては「仲間との思い出写真」「みんなで落書きをして楽しむもの」だと認識して遊んでいるのに一人だけ意識的に顔を隠されてなんだか変な写真にされてしまうのは不快であり

誰もあなたの顔をそこまで気にしていないから、顔を隠さないで欲しいと要求されるが、自分の顔が嫌いな作者はみんなの意見を受け入れるよりも自分の「プリクラで顔を撮られるのが嫌」を重要視したためこれを拒否。

どちらも悪くはない。

流行っている遊びがしたい中学生

思春期で自分の顔が嫌いになった中学生

どちらの気持ちも理解できるしどちらも自分の意思を通しているだけだ。その結果作者は一緒にプリクラを撮ってもらうことはなくなり、放課後の娯楽と言えば買い食いからのプリクラが定番だった時代にプリクラを拒否したので徐々に仲間に入れて貰えなくなりクラスでも孤立する…が、これも仕方がない。

お互いの要求が合わなかったときに誰が折れるのかはお互いの間で決めること。

メンバーの希望する形での参加を断った作者が「そういうことならメンバーから外れて貰う」と言う結論を出されるのもまた仕方がない。

グループの中に必ずいて欲しい人材であれば「○○ちゃんがいないなら面白くないからプリクラ自体撮るのやめよう」とか「顔を隠して撮っても良いことにしよう」という妥協案も出るだろうが

毎回プリクラに行って一人だけ意識しまくりでスタンプで顔を隠されると、普通になんだか嫌ではある。そもそもプリクラは写っている人間みんなの共有の写真だ。

こういうポーズをみんなで決めたい、こんな落書きやスタンプを使ってデザインしたい等の希望がそれぞれにあり相談しながら進めていくしお金もみんなで払う。1人だけルールを守りたがらない人がいたら、やっぱり嫌だろう。

たかがプリクラ、大したことないようには見えるが要するに一緒に焼肉に行って毎回肉が嫌いだと言って残す人くらいその場のマナーには合わない。

 

さらに作者はそのグループから追い出されたあと断られるのが怖くて他のグループに自分から仲間に入れての一言は言えず相手から来てもらえるのを待ち続けてしまう。

…言うまでもないが幼稚園ではないので仲間外れの子を誘わなければいけない義務はない。しかも時期は中三の秋。中高一貫だから高校受験はないにせよ、ここまで一緒にやって来て気が合う仲間と楽しく最後の思い出作りし始めるラストスパートの頃合いでみんな自分の事で精一杯の時期であり、時間はあってもさほど仲良くもないクラスメートを構う暇はない。

そして他のクラスメートたちは文化祭や修学旅行等のイベント行動時には普通に会話をしてくれていて、あくまで放課後に一緒に遊ぶ仲間に呼ぶほどは親しく思われていないだけ、誘ってほしいのに自分からは切り出す勇気がないので仲間に入れない…これはもう仕方ない。

必ず全員と仲良くしなくてもいいのはお互い様だ。相手にも友達を選ぶ権利はある。

友達ではないクラスメートとしてはおおむね適切な距離を取られているので教師もそれ以上何もしてはくれない。というか出来ない。

「あの子が一人で可哀想だから、お友達側にも言いたいことはあるだろうけど我慢して仲間に戻してあげなさい」と言うのも逆に不公平だ。

あくまでお互いに意見が合わなかった結果破局した。グループのメンバーを説得する材料を作者が持ち合わせていなかったから疎遠になった、自己解決が望ましい。

 

しかもその上作者はとある小説に書かれた「ナイフをポケットに隠し持つことで、自分にはナイフ(お守り)があるから大丈夫と言い聞かせる」描写に感銘を受けて

ナイフの代わりにタバコの空箱を持ち歩くという奇行に出てしまう。

 

これ、文章で説明されたら意味は分かる。強いイメージの物を持つことでその力にあやかると言うか、自分はいざとなったら戦える戦力を隠し持っているのだ、弱くないのだと自己肯定感を高めようとする行為…なんだろうけど、他人から見たらただタバコのごみを持ち歩いている良くない中学生だ。

客観性が悲しいほどにない。他人からどう見られるかプリクラで顔隠すくらい気にする割にはそんなズレたことしちゃうのね…という痛さ。

当然すぐに見つかりタバコを吸っていたと誤解されて騒ぎになってしまい

その後呼び出された作者は教師に無視されていることやタバコは吸っていないことを弁明するが、教師はタバコの件は初犯ゆえ不問としてくれたものの無視については「グループから外れているがイジメには発展していない」ため手出しをせず

作者は教師にも裏切られた気持ちを抱えながら卒業と言う解放を迎える…。

最後に友達が謝りに来たが作者は謝罪を受け入れずに「自分を傷つけたことを、一生気にしてほしい」と願うも、それから数年後に元同級生(グループが違う人)と偶然再会した際、相手は作者が無視されていたことも覚えておらず唯一騒ぎに発展した「煙草」の件だけを記憶しており

「煙草を吸っていたからみんなに避けられてたのはしょうがないよね」と作者の記憶する事実とは全く異なる記憶を持っていたことに愕然とする。

「他人は自分が思うほど自分の事を気にかけてくれてはいない」自意識過剰である、という数年越しの事実をかみしめて読者にも気楽に生きよと呼びかけて終了…

 

…いじめられっ子の特徴がこれでもかと滲んでいるな、とは思った。

そもそもプリクラで一人顔を隠している時点で「自意識過剰」だったわけで、作者は最後の最後まで自意識過剰が治らず、元同級生に出会って初めて他人の意識が自分に向いていないことに気付いて絶望して「気にするだけ無駄みたい、みんなも気にしちゃダメよ」と他人を恨めしく思いながら筆を執っている様子がうかがえるが、

そもそも…他人に期待しすぎなんだよな。

同い年同士だから、自分のわがままを相手が必ず受け入れてくれるとは限らない。

自分から相手に合わせることを放棄しているので一人ぼっちでも文句は言えない。

先生は自分だけを救ってくれる存在ではない。

あとタバコの空箱を持ち歩くという…自意識が爆発しているこの行為

中高一貫である程度落ち着いてる同級生の中で作者だけ少し幼稚というか精神面での成熟が遅かったから浮いた、ということだろうな…。

 

ボッチになってしまった作者はグループ行動する女子たちを恨めしく思っている様子が見て取れるがそもそも作者本人は友達に合わせるのが苦手、というか自意識が過剰過ぎて協調性や客観性には欠ける自分本位タイプ。他人に合わせられないのに他人には自分に合わせろと要求するのは単なる我儘だ。

その我儘は親の育て方にも責任あるだろうなとは思う。タバコの件を見逃してもらった後親は教師たちにお歳暮としてカニを送っている。か、過保護…と言うかなんというか若干ズレてる。うちの子をクビにしないでくれてありがとう、くれぐれもよろしくと言う気持ちは分かるけども気を遣うべきはそこじゃねーっていう。そのズレ方が子供にもそのままコピーされてる感。

 

我儘で自分本位な友達と一緒にいると疲れるので距離を置かれるのは仕方ない。

我儘同士気が向いたときに一緒に遊ぶとか言う距離があっているんだろうけど、そういう人と仲良くなれるかどうかは運とめぐりあわせだし基本地味だからよく観察しないと見つからない。

最初の段階でみんなと騒ぎたいグループに所属を希望した作者はよくいる陽キャに憧れるキョロ充属性で失敗しちゃったパターンと言う感じもする。

 

先生が助けてくれない、というのも中学三年生なら人間関係は自分で思考錯誤していかないといけないしね…とにかく弱って誰かに聴いて欲しいなら保健室に通うという手段もある。その全部突っぱねてボッチを選択するのもまた個人の自由。

 

しかしまあこういう弱者代表から見た系のエッセイって自分が相手に何かを提供したわけじゃないのに相手からは提供されて当たり前と言う感覚の人が多くて閉口する。

何も提供していない、価値がない人間も脅かされない世界であって欲しいのは分かるけど

なんだか不毛だよな