morisankunの日記

アラサー。

オタクの孤独

前につづ井さんについて記事を書いたけど、こちらの方の記事が凄くわかりやすかったなと言う事でそれを見て、また腐女子の生き方について思った事を徒然と…

こちらの方の記事はつづ井さんと言う生き方を見た人が、救われるばかりではない…と言う一種のカウンター記事だ。

あくまでつづ井さんに救われた人じゃなく、疑問を感じた人や、別につづ井さんに特別な思い入れがない人が読むのをお勧めする。

私は割と納得できた。↓

 

http://525600.hatenablog.jp/entry/2019/09/12/221015

 

……早い話、つづ井さんっぽい生き方が出来るのって

20代後半くらいまでじゃないのかな~と私は思う。

30代半ばのいわゆる結婚ボーダーラインが見えてくる頃には、つづ井さんの言葉はほとんどの人には効かなくなるか、その言葉に縋り付いて自分を安心させるための麻薬になっちゃうかで、健やかな気持ちで受け止めるのが難しい人の方が増えると思う。

 

つづ井さんの言葉はつづ井さんがあと10歳年を取った時に言えてたら凄いなーと思うんだけど

20代後半を通り過ぎた者としては「そのくらいの年齢ならまだ楽しいよね…」という感想にはなってしまう。なぜなら多くの女は20代後半に焦りはあっても本格的な年齢による断絶と絶望はまだ知らない。

まあそもそも客観的に考えたら30歳過ぎて他人の言葉に救われようとスンナ、自分で地に足付けて生きてないからそういうことになるんだろみたいなつめたーい言葉を投げかけられてもしょうがないと言われそうだけど

人って何かしらに絶対悩んでいるわけじゃないですか。結婚しても出産しても、50歳でも60歳でも。

たまたまアラサーはそういう事に悩みやすいわけであって

絶対に何の悩みも持たず全部自力で解決しろとか言う方が鬼だと思う。

誰かが躓いてる時に自分はコケなかった、スムーズに走れたからと言って一生スムーズに走れるとは限らない。躓いてる人を愚かだと叩くのは傲慢だと思う。形は違っても誰にでもある事だと思うから。

  

中学生でアニメやゲームに本格的にハマって、高校大学でイベントを全力で楽しみつつ彼氏とかも作って、就職するころにはアニメやゲーム、そして彼氏との交流のどちらもバランスよく楽しめるようになってて…20代後半で結婚して、アニメやゲームに飽きたころ子供が出来て足を洗う。

 

多分これが多くの腐女子の、少し前までの理想の人生だった。腐女子に限らず女は30で子育てに入ったら「ママ」と言う役割のプレイヤーになるもんだとなんとなくみんな思っていたはずだ。よくネットで炎上しているのぶみ氏の主張なんかがもうまさにそれ。

 

自己犠牲こそがママには求められるから、女に自我…個性や趣味はいらない。

みんなが、女性自身もそうやって大人になったら「個」を捨ててこそ一人前と見なす空気が蔓延していて

30を超えて腐女子やオタク趣味なんて続ける「自分を持った」ママは相当「変わった人」か「奔放な人」って感じだった。

元々腐女子は10代でも変わった人扱いされるし、隠していくのが少し前までの当たり前だったから、多分ババアになったら腐女子を辞めろ、と世間から圧がかかっても納得して受け入れる人が多かったんじゃないかなあ。若いうちだから許された「より道」の趣味って感じだった。

男は「パパ」として多少趣味人な方がおシャレとされてたけど。ともかくかつては個人の趣味や人格は軽視され役割を重視される時代だった。そうすることで「社会から一人前として認めてもらえる」と言うメリット??を得た。メリットだよなあ…多分。令和的にはあんまりメリットに感じないけど昔はそうだった。

 

今30代前半の私が18歳だったころ、当時25歳だった先輩はこの理想的人生コースに乗って、主婦という役割とそれに伴う社会的評価をゲットしていた。

「主婦って良いよ、今までほぼニート同然のフリーターで審査も落ちてたのに主婦ってだけでクレカも持てるし、百貨店で買い物してても金のない若い女じゃなくて奥様として扱ってもらえる。中身は変わってないのに、立派な人として扱われてる」

と言ってきたのを覚えてる。彼女も腐女子でイベントのたびに本を作っていたし、主婦になってからもしばらくはそういう生活をしていた。それまでよりも生きるのが楽で、楽しいと言った風だった。

一つ…彼女の中で理想と違ったのは彼女は子供が出来ずメンタルを病んでしまって

何度か自殺未遂の報告をネット上にあげた後、すべてのアカウントを消去して誰からも連絡が取れなくなってしまったことだろう。彼女の苦しみを見ていると、単純に子供が欲しかったということ以上に、ルートに乗ったつもりが乗れなかった…という事実が彼女を大いに苦しめていた。

ルートに乗る事が人生で重要な価値だと思ってた彼女にとって、自分が最良と信じたルートを外れることは生きる意味を無くすことだったんだと思う。あれから十年。生きているのかどうかも分からない。

 役割が重視される世界では役割を得られなかったり、失った場合そういう大きなデメリットがあった。個人に生きる価値を認められていないんだから30歳でママという切符を手に入れられなかった女は用無し、と見なす闇の世界が平成10年代後半から20年代にもなっていたあの頃に、まだ依然と広がってた。

 

私は先月夏コミに行った。流行のジャンルの本が欲しかったから。いつものジャンルより沢山の…若い人が集まっていた。

「その作品でオタクデビューしたばかり」の高校生や大学生。

学校の先生の文句を言う高校生と、就活の愚痴を言う大学生に挟まれて待機列を歩いた。「愚痴を言う」のは一人ではできない。つまり彼女らは友達と一緒に来ていた。

間に挟まれた私は一人参戦だ。

 

10年ほど前。大学生の頃は私も友達と一緒にこの列に並んだ。

 

サークル参加した時もあれば、一般参加の時もあった。参加数1000サークルを超える巨大ジャンルにいたこともある。帰りに友達と打ち上げして、スケブ持ち寄ってお絵かき大会。

同じ学校出身で「腐女子」という共通項目で仲が良くなったいつものリア友兼オタ友のメンバー3人くらいでアフターすることもあれば

オフ会の形を取ってはじめましての人や大手のサークルさんと交流を持てたこともあった。

イベント終了後には○○さんから貰ったイラスト~!と言って「楽しかった思い出」をネットに上げていた。神絵師からイラストをもらえた自慢と言う要素もあるけど

3~6人で集まってる時は大体「こんなに素敵な仲間と過ごした最高の時を見て」だった。

素敵な友達がいる「自分自慢」とはまたちょっと違う。「場の空気に完全に酔ってる」パターンの方。素敵、世界のすべてが。友達が大好き。祝福に満ち溢れている。騒がずにはいられない。そんな気持ち。

つづ井さんにも多少はそういう気持ちはあったんじゃないかと思う。

世界一楽しい仲間たちと「ハッピーに酔っている」気持ち。

 

そういう人種の幸せって言うのは、とにかく気の合う誰かと盛り上がるって言うのが幸せだから、結婚とか友達とか形にはこだわらない。何ならオタクとしてジャンルが違ってもいい。気が合えば良い。その部分はとても令和的だと思う。

 

でも「必ず誰かが傍にいてくれること」が幸せの条件の場合

30歳を過ぎるとその部分こそが一番難しくなるから

結局結婚という形で誰かを隣に縛り付けないといけない人たちが出てくるんだとも思う。

 

グループに6人いれば大体30歳までに2人は結婚する。体感的に、だけどそんな感じだ。とりあえず学生時代からの付き合いで6人全員が独身のままって言うグループにはなかなか遭遇しない。それでもって大体はグループ2人目の結婚が転機になる。1人結婚したくらいじゃ何も変わらないけど2人結婚すると場の空気が変わる。「既婚」状態がイレギュラーではなくなるから、「独身者中心のスケジュール」から「既婚者への配慮をしたスケジュール」に変わる。学生の頃のままではなくなってしまう。

 

結果、あんなに輝いた友情の時間を過ごしていて、楽しい友達を作れる実力?運?を持っていたとしても10年後のイベントには一人で行くことになることもある。

 

まだその段階に来ていない若い腐女子や、運よく崩壊を免れて少人数で結成できているグループを横目に。自分もあれくらいの年齢の頃はあんなだったなと懐かしみながら。

 

流行のイベントは若い人が多かった。今高校生だったり大学生で、自覚はないけど無敵感を感じている。でもこの先多くの腐女子が、先人達も経験した30歳でグループから人が抜けていくのも味わうことになるんじゃないかなとは思う。

 

何千人と集まったオタク属性の女性のうち、どのくらいが35歳を超えた時

結婚なんて興味ないですぴっぴろぴーって言えるのかな、と三角の建物に吸い込まれる群れを見て空しく考えてしまった。

一人で参加したイベントがつまらないと言う話じゃない。それはそれで楽しかった。でも女子の集団でわーわー盛り上がる、あの独特の空間って言うのは

20代後半くらいまでしか形成できないんじゃないかなとは感じてる。

 

次にあの空気が復活するのって、きっと子育てもひと段落した人たちがもう一度自分の人生を楽しむ為に羽を伸ばし始める60歳以降なんだろうな。

イベント帰りの電車の中、三連休はおばあちゃんたちがワイワイ集まってるから。

 

30歳~59歳までのおよそ30年間…この期間にメンタルやられる人って多いよね…どうして人生ってうまくいかないんだろうな

自分の幸せのために生きるって滅茶苦茶難しい