morisankunの日記

アラサー。

昔の同人誌を読んだらモラルがヤバかった話

私は今アラサーで、社会的なことには多分最も敏感で、発言には気を付けて生きている世代だと思う。

私より下の10代の子たちはナチュラルに…例えば「LGBTの人を差別してはいけない、恋愛は自由、結婚も個人の選択」っていうモラルを持っている人が多いなと感じるんだけど、アラサーの私たちが子供の頃から目に触れて来た価値観は昭和の大人が考えたモノだったから、

意識して「今」の発言をしないと、うっかり魂に教育された昭和が目を出す。

私たちより昭和に近いアラフォーの人たちにおいては度々それで若手から不興を買っているのを目にするから、間に挟まれたアラサーの自分たちは戦々恐々だ。

昨今サッパリ聞かなくなった「老害」にならないように必死である。やっぱりネットも高齢化してるから老害という単語が消えたんだろうなとか思ってる。単に廃れただけかもしれないけど。

 

それはともかくとして最近年上の友達が出来た。むろん老害ではない。良い人だ。同人イベントで知り合った友達で、ジャンルを掛け持ちしている人だった。

同人というのは現代においては大体アニメや漫画の二次創作をする人たち、およびその活動の事をさす。

そして同人活動というのは基本的に交流の要素を持つ。好きな漫画やアニメの事を友達と語り合い、作った物を見せ合う。おススメがあれば人に紹介して一緒に楽しむ事も多い。

特に平成の頃の同人はそうだったから私も「誰かのおススメ」にハマる事にあまり抵抗はない。

その年上の友達と話していると懐かしいジャンルの話が次々に出てきて、自分たちがまるで10年来の旧友かのように話が弾んだ。そして彼女の話す過去に流行ったジャンルの一つに興味がわいた。

私はそのジャンルの事はうっすらとしか知らない。同人人気があったことは知っているし原作のアニメ自体は見ていたんだけど当時の自分は子供すぎて同人文化にまではたどり着かなかった。

6歳ほど年上のその人はそのアニメを見て当時同人をしていたらしい。

話を聞くほどにその「昔私も好きだった、懐かしアニメの同人」が気になって来た。

 

仕事帰りにふと時間が出来た私は久しぶりに同人誌を買いに同人専門店へ出向いた。ここ数年はめっきり新刊をネット通販しかしなくなっていたから専門店へ行くのは久々だった。今回も通販すれば早かったんだけど懐かしジャンルの通販は少ない。

勿論懐かしいジャンルだろうが現役で活動中の人もいるんだけど、現在流行中のジャンルと違ってイベントの開催が不定期or年に数回あるかないかだから通販は大体品切れだ。そうなると店舗へ行くしかない。中古で手に入れば僥倖と言ったところ。

勿論書店委託分の新刊もあるので新刊が手に入る場合はそちらを購入している。あくまで今回の狙いは既に活動を終えているサークルの中古本である。

懐かしのジャンルの棚の前では赤ちゃんを抱っこしたママが物色をしていた。おそらくこの人も幼子を抱えてイベントへは行けなかったのだろう。人の少ない時間帯に子供をあやしながら趣味も充実させている。素晴らしい女性だ。

そして今の流行ジャンルではなかなか見ない光景だった。旬ジャンルにいるのは20歳前後の学生さんばかり。

ママ腐女子さんが真剣そのもので棚の前にいるのがなんだかうれしかった。

当時からずっと好きなのか、私と同じく何かの拍子に再燃したのかどっちだろう。

 

ママさんの横で私も物色をし始めた。当時大手だったと思われるサークルさんは作家別でコーナーがあったのでわかりやすい。後はジャンルの棚から気になるモノを10冊近く購入してホクホクで帰った。

 

帰宅して早速戦利品を読んだ。まず奥付に住所がドーンとあるところにテンションが上がる。昔の同人誌には奥付というものがあり、ハイテンションの「あとがき」そしてペーパーも挟まっていた。今回購入したのは90年代後半~00年代初期のまごうことなき「当時の」同人誌だった。おそらく描き手の人は現在40代後半~50代くらいじゃなかろうか

 

そして中身を読んで違和感を覚える。

絵柄が古いとかそういう話ではない。むしろ絵柄は今通用しそうな雰囲気のものもある。一周回って今がレトロブームだから全然余裕だ。デジタルが存在しない時代の描き手たちだから画力も純粋に高い。いや同人誌として今なお残っている=当時たくさん売れた人の物であると察せられるのでおそらく総合的に見ても上位の人の作品だろう。

 

違和感は作品の中身だ。原作と同人で設定が乖離していたり、別キャラ状態になっていることは実は珍しくはない。

分かりやすい所で言うとニコニコキャラが腹黒キャラにされてしまったり、クールなキャラがヘタレにされてしまったり。

そういうのは現在進行形でどこにでもある。そう、旬のジャンルですらそういう「キャラ崩壊」系の作風の同人作家は存在し、それを好むも好まないも趣味である以上自由だが、過激なキャラ崩壊には「待った」…つまり炎上があるのが現代風だ。

 

同人誌を読む前に原作を再履修した私から見てそれは「滅茶苦茶キャラ崩壊した」作品群だった。10冊程度買った中で原作のキャラを踏まえていると感じたのは2冊だ。しかもその2冊は発行年数が若かった。ほんの4,5年前まで現役だった人の作品だ(検索してもサイトやpixivの最終更新が4,5年前だから、今は名前とジャンルを変えたか引退したか…)

私は別に見る目が厳しいわけではない。現役腐女子として旬ジャンルを浴びる程見ているからこそ、割と甘い。

それなら、なにがそこまで?と思うだろう。私が違和感を感じてやまなかったのは過去ジャンルの「受けの扱い」の部分だ。

 

スパダリという言葉をご存じだろうか。バブルの化身とも言える。スーパーダーリンの略だ。背が高く(昔のBLは攻めと受けの体格差がすごい)経済力(冗談みたいだけど新宿の土地がそのキャラのものだったり財閥のご令息だったり)も高く、受けをペットのように甘やかす。さらに言うと性玩具として、あるいはアクセサリーとして扱う…そういうBLが一昔前の主流だった。受けは何もできなくて、母性があってセッ●スが上手くてかわいい…それだけの存在だった。

 

私はスパダリを通っていない。いや、少しかすったから存在は知ってる。

だけど腐女子として目覚めて以降スパダリよりも圧倒的に原作順守系を見る機会が多かった。好みの問題ではないと思う。高層マンションの最上階で薔薇の風呂に入ってるような攻めは、私が通って来たほとんどのジャンルで見たことがなかったし、花魁系のパロディでそういう作風の人はいたにはいたけど物凄い人気というわけでもなかった。

 

だが90年代後半に出されたその過去作品の同人誌のキャラ付けはそっち系が多かったのだ。

 一応表紙から体格差がエグイ系統の作品は避けた。多分ノリが合わないと思ったから。それなのに、原作に寄せた絵柄のキャラでもマインドは原作風ではなかった。

 

攻めは原作のキャラを嘘のように忘れて、シャンパングラスを傾けんばかりの男になっており、受けは受けで原作の男らしさが塵ほども感じられない少女漫画のヒロインのような、専業主婦にされていた。

 

この受け原作では料理描写一回もなかったぞ?って言うかめっちゃくちゃ男らしくて元気だったのに攻めがいないだけで泣く??目的はどうした…お前の目的は…

元気な原作のキャラでの同人誌が読みたかったのに、どれを手に取ってもほほ笑みの天使ちゃんみたいにされてしまった、名前を借りた別人の少女漫画ばかりだった。

原作では元気よく目標に向かって友情努力勝利で勝ち進むヤンチャボーイと、そんな彼の友達でクールで嫌味な男が…

無限のやさしさと無力さで男の帰りを待つ乙女受けとスパダリにされてしまっていた…キャラが違いすぎる

 

年上の友達に話したら「当時はそういうのが流行っていた」と回答を得た。今はそのジャンルでもそういう雰囲気の人はいなくなったらしい。

あるとしたら女体化がまだ「そう」だと。

 

ウケ=女役になった瞬間…キャラクターが一瞬で家庭的で乙女チックで恋しか興味なくて、受け身で、男を抱擁するキャラに変更されてしまうというのはなかなか闇が深いと思った。

当時の人は女というものを無意識でそういう役割として見ていたという事だ。

そんなつもりはなかったとしても、あるがままでのキャラクターを受け入れてはおらず、女役には過剰な母性を付与していた。なにも出来なくてもいい、可愛くて性的で攻めの全部を受け止めてくれたらいい。原作そのままのキャラを好きになったのではなく、自分が思う「女」役を原作のキャラにおしつけているだけ…

 

差別用語もバンバン飛び交う、そういう面でのモラルもヤバいがそれ以上に

 

当時大人気だった作品の、かなり勢いがあった二次創作者たちがこぞってそういう思考回路だった…というのはなかなか怖いと思った。売れたのだから買い手達も同じ感覚だったと言う事だ。

 

もちろん、母性あふれる天使キャラ大好き。そういうキャラを強くて経済力溢れる男キャラに守らせるのも大好き、何もできない無力な受けをかわいがりたい、そういう趣味の人がいてもいい。だがそうじゃないキャラにまでそれを押し付けているのが怖い

男キャラもそうだ。経済力があり、両親と不仲で、専業主婦(という名の籠の鳥)にさせてくれる男ならそれでいいのか?というくらい他の個性が消えていた。

 

 

今の女性が特別自由で、個性を認められているとは思わない。

でも昔に比べると随分色々できるようになっているんだなあ…女性の母性以外の個性ももっと認めてもらえる世の中になったらいいな

 

役割でしか生きられなかった時代が、完全に過去のものとなることを祈る