morisankunの日記

アラサー。

明日私は誰かのカノジョ

よく宣伝が回って来る明日私は誰かのカノジョ、通称明日カノを読んでみた。

この作品を知らない人向けに説明するなら

・少女漫画版ウシジマくん

・底辺人間の苦しみが見たい人向けの漫画である。

少女漫画レーベルから出ている漫画ではないんだけど男性向けのサービスシーン(エロ、アクション、男に都合がいい展開)が一切なく…と言ってもイケメン祭りやヒロイン溺愛みたいな女性向けのサービスシーンも全くないんだけど、どちらかというと女性読者の共感を呼ぶもので、絵柄も青年誌と少女漫画の間くらいなので一応少女漫画に分類した。

ちなみにオムニバス形式でメインヒロインは存在しない。

 

この作品の中で特に人気があるキャラクターが”ゆあてゃ”と”アヤナ”だ。

ゆあてゃ、は地雷が一発で分かるあだ名で、本名は優愛(ゆあ)。

初登場時既にホスト狂いでホストに貢ぐために風俗嬢をしている美少女。偶然出会った萌ちゃんというコンプレックスを抱えている女の子をホストの道に引きずり込む。

 

アヤナは整形費用を貯めるためにレンタル彼女という水商売一歩手前くらいのバイトで生活をしている女性で整形して若く見えるが実年齢は35歳。

 

もう肩書きだけでも地獄が約束されている。

 

今回はそのアヤナの方について。アヤナの実年齢も関係しているのかアラサー女性にアヤナは割とウケが良い。ちなみに男性ウケはめちゃくちゃ悪い。

 

アヤナ編は、整形狂いの女の子が幸せになれない話だ。

アヤナには年下の彼氏・光晴がいる。彼は酔った勢いでアヤナをナンパしたものの普段はごくごく普通の会社員。顔は若干イケメン寄りで名前の通りの陽キャで、アヤナとの結婚を考えていて友達にアヤナを紹介する。

何の問題もなさそうな普通の男性…であり、男性が読むとかなりの確率でこの彼氏が一方的な被害者でアヤナは鬼のような女という感想になるが、女性からの感想は結構違う。

 

アヤナは嘘だらけで、光晴は自分にとって都合が良い部分しか見ない男

アヤナが嫌いな男性読者から見るとアヤナは男の敵とすら言える。

整形しているから顔も嘘、職業も嘘をついているし、整形するための費用を他の男から結婚詐欺まがいの方法で貢がせていて、年齢も嘘。嘘まみれだからだ。

年齢の虚偽に関しては他と違いわざと嘘をついたのではなくすれ違いが原因ではある。

アヤナと光晴の出会いがナンパだったため

光晴「何歳?年下だよね?」

アヤナ「年上」

このやり取りで彼が「じゃあ俺より一つ上とか?」と早合点してしまい

その場限りになると思っていたアヤナもそれを否定しないままに雑に関係が始まった。

出会いがナンパでなければ、あるいはどこかでちゃんと告白しなおして、区切りを設けていればアヤナも年齢をカミングアウトしやすかっただろうが

どうやら二人はそのままのノリで結婚も視野に入って来る間柄まで進んでしまい

物語当初のアヤナは実年齢を彼氏に打ち明けようかと悩んでもいたので、そこまで意図的に騙そうとしたわけではない。

 

職業に関してははっきり意識的に偽っている。彼にはコールセンター勤務と伝えていたものの実際にはそれよりも(若いうちは断然)稼げる水商売と接客業のはざま…レンタル彼女という仕事で生活をしていた。体は売っていないけど、職業を偽っていたというのはマイナス。アヤナが嘘をつく人間であると言うことは事実である。

しかし他人の職業が自己申告と違うことで何か実害があるかないかで言うと基本的に害はないので、この辺までは人によっては許せなくもない。実際彼氏である光晴もこれは許していた。

 

そして顔…整形。

これを嘘と呼ぶか、努力と呼ぶのか。

女優やアイドルのプチ整形は彼女の天然美少女っぷりを信仰している人には残念なことだが割と当たり前にある。否定していたとしても、一般的に整形疑惑がかかっていない人でもプチ整形くらいはしてたりする。

昔私のバイト先に某アイドルグループの女の子が来たことがあったが

映像や雑誌で見ると全く気にならなかったのに実際に対面して人間として出会うと

笑った時に動かない不自然な頬や、目頭を切っていておかしい形になっている目など

「あ…整形だったんだ…」というのがはっきりとわかった。

メディアは撮り方次第、修正次第。

 

整形してでも美しくなりたいか?という問いかけは私は残酷だと思う。

だって結局現実に整形だろうが美女は美女、天然だろうがブスはブスで生きる世界は変わってしまうから、整形してブスが美人に成り代わろうとするな、というのは

ブスは一生他人に負け続けるポジションでいろという残酷な発言に思える。

 

私は整形はしていない。

ただ親が天然主義と節約趣味の合わせ技で学生時代家族共用の古くて風力が弱く短い髪をギリギリ乾かせる程度のドライヤーしか使わせてもらえず、汚く見える縮れ毛くせ毛でもストレートパーマも当てさせて貰えない、

髪質に難があるのに激安シャンプーインリンスでさらにギシギシで髪質悪化するも無頓着、

視力が弱くてもコンタクトレンズや、薄型で小綺麗に見えるデザインのいいメガネは買ってもらえず瓶底みたいな重い安いメガネしか買ってもらえない

(親自身もお金があっても服に金をかけず、母の友人が来た時にあんたの一家は身だしなみに気を遣わなさ過ぎていると言われたことすらある)

 

そんな環境だったので、高校生になりコンタクトを買って美容院で縮毛矯正ができるようになると周囲の見る目が恐ろしいほど変わったことを実感している。

男子だけじゃない、女子も、学校の先生も。

それまでは「雑に扱っても良い雑魚」だったのが「丁寧に扱わないといけないお嬢さん」に早変わりした。世の中そんなもんだ。人は見た目で判断する。当然生活の全てや考え方は見た目に出るんだからそれで正しい。

清潔と清潔感をはき違えてるうちの親は、毎日風呂に入れと怒ったが、髪や肌を綺麗に保つための努力が世の中にあることすら教えてくれなかった。

自分の事を雑に扱っている人間は他人からも雑に扱われて当然である。

社会人になって久々に実家に戻った時に「髪綺麗になったじゃない。あれやこれやと金をかけなくても大人になれば自然と綺麗になるのよ」と鼻高々そうにする親に

「普通に月一でサロンに通って縮毛とトリートメントして金かけてるから、大人になって何にもしない人間が自然にきれいになるわけないでしょ」と言うと納得できないという顔をしていた。

いやほんと、身だしなみというのはお金かけた分だけ綺麗になるんだよ普通。それは年頃の女子ならよっぽど女を捨ててない限りみんな同意してくれると思う。

女の子は年頃になったら自然とお姉さんになって美しくなるのではない。

年頃になると好きな人が出来たり、姉妹がいる人がいち早く美容に気を付けるようになるから、それに合わせて美容を意識しだして綺麗になっていく。

内側から出る美とかいう物も結局はその意識。周りが可愛くなろうと自分は漫画やゲームしか興味ない喪女はいいトシになっても眉毛は繋がり猫背で化粧も変で決して美しくはなく男ウケも女ウケも良くない。

 

だから「美容整形で美人になろうとするな!=お前は雑魚のままでいろ」というのは

化粧程度では何ともならない顔に生まれてしまった人に対してあまりにも残酷で酷いことだと感じるし、雑魚から抜け出すために頑張ることは紛れもなく努力であると感じる。

ただ、「もしかしたらその子と結婚して子供を設けるかも」と考える交際相手の男性からは、整形後のかわいい子じゃなくて将来整形した母親同様に苦労するほどの不細工な子が生まれる確率が高くなるのは詐欺であり

文句を言ってもいいのは最低でもその女性と交際した人のみだと思う。美人は周囲にいれば普通にみんなの士気も上がる。彼女と子供を作る予定がない他人にとってのデメリットなんて何もない。

 

話を戻すが、ブスで苦労したアヤナは整形を努力だと感じていて

彼女との結婚を考えていた彼氏の光晴は詐欺だと言った。

それ自体は仕方がないことだと感じる。

あくまで2人は彼からのナンパで出会っていて

アヤナが美人に整形していなかったら出会うことすらなかった。

彼氏は美人と交際しているつもりであり、元不細工で子供もブスになるかもしれないと言われたら話が違うと怒るだろう…

が、この話の胸糞悪いのはそこじゃない。

 

アヤナの彼氏は「100%女を顔で選んだ」と言う自覚がまるでないままに綺麗ごとを口にするのが非常に胸糞悪い。

 

光晴はアヤナに自分の友人の前田夫婦を紹介し、前田の嫁・ハルカちゃんみたいになって欲しいと要求する。

ハルカは、はっきり言って不細工で、さらに太り過ぎのガンタンクみたいな体型の女性で、コテコテ油っぽいもの大好き女であるが

前田も不細工で二人が住んでいる家も1LDKくらいの普通のマンション=前田自身それほど稼げるってわけでもないのでいろんな意味で釣り合いは取れている。

ハルカの料理は男性好みの味付けとは言えるが長い事ハルカと生活していたら確実に肌は荒れるし太ってハルカと似た体型になるし、男性なら毛穴詰まって禿げが加速する。

普通なら、太りまくった女性がコテコテ料理を作っていたら「あー…まあそうだよね。たまに食べるなら美味しいし、良い子なんだけどね…これ続いたら体壊すよね…」みたいな感じになるだろうが

光晴はハルカの料理をベタ褒めで「ハルカのように癒し系で料理上手な女性になって欲しい」と言う…。現実がまるで見えていない。というかこの彼氏はとことん自分に都合のいいところしか見えない人なのである。

ちなみにアヤナは料理が出来ないわけではなく、体型に気を付けた和食が得意。

もし本当に光晴が”アヤナ”の内面が好きなら、ハルカの作るコッテリ料理や、首が埋もれるほど太ってる事さえも大して気にしてないおおらかで穏やかで癒し系?の性格を求めることは間違っているしコッテリ好きとスリムは共存しないのだ。

しかし彼氏はアヤナが美容に気を遣い過ぎで、年を取ればみんなよぼよぼの汚いおっさんおばさんになるんだから構わないだろうと畳みかける。

 

…これ、本当に二人で豚になっても幸せに暮らせるのなら全然いい。現在のハルカの夫前田氏のように太ったハルカを愛して楽しそうにハルカとの未来を語る男なら筋が通っている、が

 

光晴は、現実にはアヤナがハルカのように太ったら愛せないのである。

”自分好みの料理を出してくれて、手伝いや片付けは一切要求しない。夫の友人が初対面の女を家に連れて来ても嫌がらない控えめな性格で友達の嫁としては最高!でも自分が結婚を考えてるのは美人のアヤナ、…と言うところ。

アヤナの整形前の顔を見て受け入れられず青ざめてしまった…それが彼の本質だ。

 

アヤナのように(整形)美人で、ハルカのようにおおらかで、男好みな料理を作っても太らないように体調管理もしてくれるような理想的な妻もこの世に存在はする…が、それはもうプロ野球選手の嫁くらいのレベルであり

そんな女性と結婚できるのはプロ野球選手(のように名声と男らしい肉体と年俸を兼ね備えた存在)である。

太らないのに美味しい料理っていうのはお金がかかるのだ。

高カロリーな物はおいしい。

貧乏人はフルーツや野菜や魚を日常的に買えない。高いから。

 

光晴は「どうせみんな年を取るんだから、美容を気にしすぎるのは良くないよ」と一見凄い正論を言うのだがハルカを性別女としてはカウントしてない時点で将来は見えている。

いざ結婚してアヤナが美容に気を遣えなくなったら「こいつももうおばさんだからさあ~w見てこの皺wwババアはダメだわwあー○○ちゃん(会社の若い子)は可愛いな~羨ましいよ~おい嫁!爪の垢煎じて貰えよw」と言って嫁を怒らせ

怒った嫁に「怒るなよそれでも結婚してやってるんだからお前を愛してるって理解して冗談を受け流せよ」と言う典型的なクズ夫タイプになるだろう。

 

男性目線では何が悪いのかもわかりにくいようであるが

これ男女逆なら「あー旦那君は本当に稼ぎがないし男として弱者だわ…もっと稼げると思って結婚してやったのにさあ。後輩ちゃんの旦那君は家事も手伝ってくれるのに稼ぎも倍あるのよ?あんたマジで後輩旦那君の爪の垢貰ってきなよw」と自分は働いてない専業主婦のデブ嫁に言われる気分であり、めちゃくちゃウザくて愛が冷める。一緒に暮らしたくない人間上位ランカー。

 

ハルカちゃんの旦那・前田さんはハルカちゃんのあるがままを愛しているし

ハルカちゃんも前田さんを信頼していて二人は顔や体型も気にしてない、幸せな人間で一生幸せに生きていけるだろうけど

自分に都合がいい部分しか見ないタイプの光晴は前田のようにはならない可能性が非常に高く、今の段階からアヤナとは全く別人種と一目でわかるハルカのいいとこどりをしろと平然と言ってのける無神経さを披露しているので、女性読者にめちゃくちゃ人気がない。

綺麗なままのアヤナでいなければ、光晴はアヤナを決して女性として扱わないのに、美容に固執しなくても良いよと無責任に言う。

 

アヤナはアヤナで結構悪い部分はありまくるんだけど、それはお店の男に対してであって彼氏の光晴の前のアヤナは別に興味もない彼氏の友達の家に大人しく同行し

お世辞も言うし可愛い彼女をやっているので憎めない。

 

最後はアヤナがレンタル彼女をしていると言うことがバレ、そこから浮気を疑われ、今まで光晴に気を遣ってある程度我慢していたアヤナも爆発し整形前の写真を見せて彼の前から去る。

 

アヤナは光晴と結婚しても多分幸せにはなれなかったし、詐欺まがいの行為がバレてレンタル彼女の仕事も首になり、水商売するにも35歳と言う年齢で雇っても貰えず…それでも自分を曲げられないと言って町の中に消える。

 

…自分を曲げられないのと、他の人がそこまでやりこんでいないことにのめりこむのはオタク女子にも多い。アヤナもまた整形オタク、美容オタクとも言えるが。

30過ぎて偶然同じジャンルにいた同世代のオタ友が同年代のオタ友たちに向かって「(オタクとして)中途半端すぎる」と怒っていた時、

アヤナがハルカに対して怒ったエピソードと重なった。

ハルカはアヤナに「どんな化粧品を使っているんですか?」「私太ってるから恥ずかしいわ」と言った。それは本当にハルカがアヤナと同じ化粧品を使いたいと思っていたわけでも、そこまで真剣に悩んでいるわけでもなく

あくまで世間話として、旦那の友達が連れてきた女性を会話の輪に入れるために、

会話の糸口で話題を振ってくれたのである。

しかしアヤナはそんなハルカに対してダイエットもしていないのに化粧品の事など聞いても無意味だと怒りが沸き上がり、トイレを借りると言って席を立ってしまう。

 

世の中の大人は忙しい。仕事もしたり、家庭を持ったり、子供を育てたりしていると、様々なオタク活動はやっていてもぬるオタになってしまう。

 

20代の頃はオタク趣味に集中していればしているだけオタク友達からの評価も上がった。作品をしっかり読み込み、理解し、それを同人誌にアウトプットする技術を磨けば磨くほどオタクのフォロワーは増えて尊敬されていく。

オタなのに最新話を読んでいないとかありえないし

推しトークそっちのけで彼氏を作って遊びに行ったとかプライベートの話が多くオタ活に集中してない人はオタクの輪の中ではどっちかと言うと軽蔑されて避けられた。

 

でも30代の今…同じ30代のオタクが結婚することも正社員になることも諦めて

派遣社員で1~2年おきに更新終了されて職場を転々としつつオタ活にのめりこみ

同世代で忙しく働いたり子育てをしているオタクに対してオタ活が弱いと言って怒るのは流石に不気味に感じてしまうのだ。

 

勿論結婚してて正社員の奴が必ず良い奴ってことはない。変な奴も酷い奴もたくさんいるけど

独身で非正規雇用でその上他人に辛口のオタクの、良いところはどこ…?

 

明日カノのアヤナはオタク女だ。美容・整形にハマっていて、美容整形ジャンルトークできる仲間を常に求めていて、とあるきっかけからこの子も整形しているのかも!と同じレンタル彼女店で働いていた雪と言う女性に親近感を持って近寄り、美容軸では論外の女ハルカには終始引き気味で下にも見ている。

 

オタクは気を付けないとな…と思った。

アヤナに共感している女性は20代ならいいだろうが、30代なら結構ヤバい。

30を過ぎると本当にアヤナ同様自分を曲げられない人が増えてしまう。

自分を貫くのではなく柔軟に曲げられないだけと言う人が。

 

アメリカの夫婦は離婚が早い

日本ほど専業主婦が多い国はない、というかほとんどの外国では専業主婦という文化自体がないそうだ。

洋画を見ていると登場人物みごとに離婚間際の夫婦ばっかりだな…と思いつつ、ストーリーを劇的にするには家庭環境に爆弾を抱えてハラハラドラマチックで良いからなのかもと自己完結していたけど実際に離婚している夫婦はかなり多いそう。

よく外国の夫婦は日本の夫婦よりスキンシップが多いからセックスレスにもなりにくく、それゆえに円満でいられ続ける。日本の夫婦は淡白で冷めやすいと言われたりしていたが

本当のところ外国では冷めたらアッサリ離婚するので、老夫婦は必然的にラブラブの夫婦しか残らないというカラクリらしい。そりゃそうだわな。

日本の夫婦も実際冷めているどころか嫌い合っているとまで言える夫婦は多いのに、昭和に横行した寿退社ブームで稼ぎがあるおばさんが少なすぎるためにただ離婚できないというケースはかなり多い。

私の周囲には高収入女子が割といたりするのだが、彼女らの職場ではオシドリ夫婦と呼ばれた人も家庭内に問題が上がると普通に離婚している。

DVがあろうが、金の使いこみがあろうが、嫁姑問題で庇ってくれない夫に失望しようが

他人と我慢して暮らすことが美徳だった昭和って気の毒だなと思ったりする。

夫婦は一緒に問題解決することで絆を深める…と言っても問題には限度がある。育った環境が違えば価値観に違いがあり

男性と女性の体力の差や社会から求められる働きの違い、そういったいろんな火種を抱えて生きている人間が何人も集まって家族という新しいルールで稼働する…問題が起きないわけがない。

 

ことアラサーの自分は親世代の事なかれ主義には辟易している。

 

うちの親もそうだし、友達から聞く友達の親もそう。義実家も同じだ。

 

「とにかく、イベントさえ一緒にこなせば親族一同仲が良いということにする」

これ…本当に迷惑じゃない?仲いいわけないだろって。

 

正月にしか会わない親戚がいつも一緒にいる同僚や友達より役に立つことなんてまあない。同族会社の華麗なる一族やド田舎で近所みんな同じ苗字みたいな地主一族ならまだしも現代の仕事の都合で地元を離れいろんなところに点在しているサラリーマン庶民一族において、親戚が近所の友達よりも助けてくれるシーンはほぼ遭遇しない。

 

ぶっちゃけ相手の名前も、誰が誰の子で誰が誰の嫁?わかんねーってレベルで親しくない。

のに、親戚というだけで友達や同僚より優先させろというあの価値観が謎過ぎる。

 

将来介護って言っても老人はもう介護施設でラストをお迎えする時代。

自分で介護費用貯めてなかったジジババに発言権ナシ。

親族顔を合わせても発生するのは助け合いではなく押し付け合いだ。

 

将来的に人狼ゲームするメンツですよって集まってるのあれ?

お前らでイカゲームしてくださいって?

 

なのに正月集まれば円満みたいなノリで来る、うそつくな!

というわけで私は今年も正月は仕事を理由に欠席です。

いや、もう分かってるんだよ。将来親戚が何してくれるわけでもないどころか

親戚付き合いしてたら老人押し付けられるだけってのがね。

我慢するのが大人って人は、我慢した先にいったい何が報酬として得られるから我慢するんだろう。

我慢した結果貧乏くじになりまくってる今の親世代の親戚付き合いを見ていると

触らぬ神に祟りなし、逃げるが勝ちこそが正しいと思う。

 

まあこれも親や親族の助けなくとも自分で自分の生きる分を稼げる目途が立って、困った時に来てくれる友達が何人かいるから言えること。

 

こういうと「そうやって育ててくれた」親に感謝しろというけど、うちの親は旦那君に任せてあなたは主婦させてもらえないの?とか言っちゃうタイプで、ひたすら私の人生を私の趣味とは違う方向に導こうとしていたし、大学は奨学金で行ったので

自分が自分で稼げる大人になれたことについては、親に恩は感じてないんですよね。

親の願う通りの夫に従うだけの主婦になってたら、今頃もっと生活も苦しかった。

自分の親にはみんな多少は愛着がある。大して仲良くもない配偶者の親なんかほんとマジでどうでもいい。

自分の親の事は自分の兄弟で話し合ってねと旦那には言っている。法的にも責任があるのはそこまでの人間なわけだし。

介護は家族…夫婦で助け合いって言うのも専業主婦がいた時代までだと思う。

子供にやらせたらヤングケアラー問題ド直球だし

夫婦どっちも仕事を持っているのに、親の面倒なんて見られないから

今の時代は歩けなくなったら施設一択だ。

私には関係ない。あなたにも関係ない。そうしないと全員共倒れする。

関係ないよ、と言えるように別財布で生きられる今の自分を褒めてあげたい。

 

と親戚付き合いで病んでいるパート主婦の知人を見て思ったのだった…ほんとマジで何の意味もないどころかマイナス要素背負わされて気の毒でしかない。

これが仮に全然親しくない義両親ではなくいくらか恩がある人だったとしても他人を助けるためには自分が自立して、さらに他人の手を引けるほどの余裕がないといけない。専業主婦に時間はあるのかもしれないが

今の時代の、旦那一馬力じゃ生活が厳しいから妻もパートでフルタイムなんていうフルタイム主婦族には時間も体力もないだろう

少し年上の人だから、時代に流されて会社を辞めて主婦になったんだろうけど自分の自由になるお金が全くないって状態はやっぱり私はどう考えてもおかしいと思う。

そんなの一人前の大人じゃないじゃない。子供と同じ。他人がいなきゃ立てない大人になりたくて勉強して大学出たんじゃないはず。

 

 

しかし大人の言う「親戚付き合いくらい我慢できないなんて、大人のやることじゃない」はズルい言い回しだよね。マジで💩

みんなで大雨の時に傘も買えず雨宿りの提案も出来ず、その場で一緒に濡れるか誰か一人の服をはいで他のみんなだけ頭を守る事が家族円満か?それが大人のやることか?

親戚一同の意見交換会なんて必要なし。親と子、兄妹だけで話し合い結論すればいい。

嫁に押し付けるつもりだから嫁が来ないと困るんだろう。嫁婿に押し付けるつもりがなければ嫁婿なんて他人その場にいなくていいわけだ。

全員逃げられたら困るからなんとかして参加者増やしてPTAの役おしつけたがってる人そのものだわ。

 

4℃の地獄

いつごろからだろうか、クリスマスが近づくたびにTwitterで盛り上がるこの話題

「4℃ダサい問題」

 

事の発端は婚活アカウントの30代女性が婚活で会った男性から4℃というブランドのオルゴール付きアクセサリーをプレゼントされ「こんなダサいものいらない」的な発言をし、それにネット上の女性たちが同意をしたり、反論したりと盛り上がり…

 

以降クリスマスが近づくたびに「男性諸君は4℃をプレゼントするな」と警鐘を鳴らすツイートと、それに対する反論ツイートが入り乱れるようになった。

厳密にはこの騒動の前…メルカリが登場し、クリスマス後に4℃のアクセサリーが大量にメルカリに出品されていたのがまとめサイトなどに取り上げられ、

「風俗嬢が何人もの客に同じアイテムをねだり、一つだけ手元に残してあとは売っているからこうなっているようだ」

などという都市伝説がまことしやかに共有されていて

炎上した婚活女性のツイートは「デザインが可愛すぎて年齢に合わない」という理由以外にも「みんなが即中古に売るような商品を欲しくない」という感情も混ざっていたのではないかと思う。

 

最近では「4℃を嫌がる女は風俗嬢、一般女性は4℃に文句を言わない」という論説で「4℃批判の女性の口をふさごうとする男性」が最もこの話題の真ん中にのさばるようになってしまったなと感じる。ので流石にそれには反論したい。

4℃が良い悪いの前に、

一般女性を風俗女性を叩くための棒にしないで欲しい。

そういう自分たちに都合がいいように他人の存在を持ち上げる身勝手なところこそが4℃支持派(というより単純に風俗嬢を叩きたいだけだろう)として騒いでいる男性の嫌なところだと感じる。心が綺麗な人は何でも喜ぶなんて酷い押しつけだ。

もはや魔女裁判。無理難題を押し付けて、達成できなければ魔女だ!燃やせ!みたいなノリを令和に持ってくるな。

そもそも人間なんだから好みは人それぞれ、4℃を好む人も好まない人もいる。星の数ほどのアクセサリーブランドがあるんだから当然それだけの需要があるということだ。

4℃自体、10年前は普通に人気があったと思うが、毎年毎年炎上するから

ややこしい風評がセットになってるのなら、そういうのに無関係な他のブランドのキレイ目可愛い目のモチーフ探すよって特に思い入れのない私なら感じる…スタージュエリーとかヴァンドーム青山とか…いろいろあるし。

 

4℃と言えば、私の友人が初任給で4℃の中指用のリングを買っていたのを覚えている。

 

正直に言うと、あまり服のセンスが良くない子だった。

「買ったんだ!見て!」と差し出した彼女の指には、ホワイトゴールドの地金にいくつかのカラー石が付いた指輪が光っていて

学生時代に買った安いペラペラの服にいきなりパッと見て分かる専門店の宝飾品をつけてくるから、ぶっちゃけちぐはぐ感は否めなかったけど何よりうれしそうだったし

「自分のお給料でホンモノの指輪を買うなんて、すごい大人だ!」とみんなにも賞賛の眼差しで見られていた。もちろん私もだ。

指輪自体は素敵だとはあまり思わなかったが、指輪を買った彼女は素敵だと思った。

学生時代にバイトやお小遣いでホンモノの指輪を買ったとしてもそれは親の庇護下でお金の使い道ほぼ自由な状況下での子供の買い物だからちょっと違うし

お婆ちゃんやお母さんからお下がりを貰うのも(それはそれで素敵だが)また違う。

友人が初任給で買ったのは”自立の証”って感じでとても素敵な輝きだった。

彼女は初任給で親を食事にも連れて行ってた。

そうやって家族に使って、残ったお金で自分を輝かせるためにも使える

そのちょうどいい価格帯が4℃の指輪である。

 

こう書くと「やっぱり4℃を喜ぶのは素朴で若い女性で、嫌がるのはひねくれもののババアと風俗嬢だ!」と喜んで手を叩く男性がいるかもしれないがそういう話じゃない。

 

彼女は自分の給料で、22歳の時に、初めて自分の為に雑貨屋の数百円のものではない本物の指輪を買ったのだ。おじさんからもらったわけではない。

制服デートは学生同士が友達の輪から離れて下校時にやるからエモい。

ハタチ過ぎてからコスプレで制服着ても、あの輝きは得られない。

若者向けのアクセサリーも、同じ。その年齢だからこその輝きがある。

 

愛にはいろんな種類があるけど「俺がやったものは、お前が好きじゃなくても喜べよ」これは愛だと言えるだろうか?アクセサリーは女性が口を揃えて「好みが分かれる」という鬼門。そこにいきなり突撃していくのはあまりに無謀だ。

 

お母さんは何でも喜んでくれたから、いずれ結婚を考えているなら良いお母さんになりそうな家庭的な女性を探したい、と思ってなんでも喜ぶ女性が良いと言っているのかもしれない。

でもお母さんが子供のプレゼントをなんでもかんでも喜ぶのは”自分の子供”だからなんだよね。

 

「いやそうじゃない、人がプレゼントしたものは例え要らない物でも、相手の好みを無視してあげた物でも、悩んであげたという努力をありがたがって、それを好きになる努力もしない女なんて嫌だ!!無礼だ!!」と

相手の好みを理解できてない距離感で、あるいは好みを聞きもせずに自分の気持ちだけを押し付ける己の無礼は見ないふりして、一方的に彼女に礼儀正しさを求めることにこだわるなら、その価値観を受け入れてくれる女性か、同じ価値観の女性が見つかるまで探し続けたらいいと思う。

そのメンタリティはつまるところ「あなたの為にやってることよ」「どうしていい子に出来ないの!お母さんのことを困らせないで」と言いながら、子供の望まないことを強いる母親みたいなもんだが、それが好きならそれでいい。

 

もし出会ってそう間もない時期にクリスマスを迎えたのなら、

これからお近づきになりたいけど、まだ相手の好みがよくわからないそんな時は

アクセサリーなんて恋愛のクライマックスに登場する重いものじゃなくて、もっと人間関係序盤向けのお菓子とか入浴剤とかお茶とかなんか無難な消え物を渡しておけばいい。

そもそもデートする仲ならちょっとくらいヒントもあると思う。映画好きですーとか。それならもっと親密になる為にも一緒に映画に行ってパンフやグッズ買ってあげるとか、出会って間もない間柄の男女のクリスマスなんてそんなんでいい。

 

CHANELのコットン(消耗品)が良いと言っていた男性がいたが、それも悪手だと思う。「CHANEL!?」と相手に気を持たせておいて実は使い捨てのコットンでしたーとか、がっかりするなという方が難しい。普通の日や仕事で頑張ったとか何かちょっとした時にくれるなら嬉しいが、クリスマスプレゼントにあえて貰いたいものじゃない。

というかハイブランドは普通、まず、コットンだろうがバッグだろうが告白もする前の数回会っただけの人にあげるもんじゃない。関係が深まってから登場する選択肢だ。

女性経験の少ない男性がいきなり「そうだCHANELでコットン買おう」って思いつくはずがないことくらいみんな分かっている。

それでもそれをプレゼントしてしまうと相手に「気持ち」が伝わりすぎてしまうわけだ。

「1500円以上出したくねえんだよwお前なんかにプレゼントを恵んでやる俺に感謝しろよ」という気持ちが…。

 

彼女が一番求めているのは金品ではなく「彼女の話を聞いて、彼女を知ること」に他ならない。男と恋愛しようって思ってデートに来てるんだから、彼女はお互いの事知りたがっているわけだ。安物だからとか高級品だからじゃない、望むものは何なのかを知って欲しがっている。

一般女と会話をして、いろんな場所にデートをして、相手が本当に望むことは何なのかお互いに理解し合う関係を築いていけば「じゃあ結局何のアクセサリーをやれば満足するんだよ!!」というセリフは出てこないだろう。

いかにも恋愛といったこういうやり取りが嫌なら風俗を利用したらいいのだ。お金さえ払えばやり取りすっ飛ばしてプレイできるし、手っ取り早くヨイショしてもらいながらデートっぽいことがしたいだけならレンタル彼女やパパ活女がいる。

 

「クリスマスにはアクセサリーをあげるものだ」と思っている男性も、欲しいと思っている女性も多いが、”普通”の女性なら会って数回、彼氏でも夫でもない男性からまず貴金属を貰おうとは考えない。

「クリスマスにアクセサリーが欲しいな☆」というのはちゃんと交際に至って、その上で1年続いた記念とかそのへんで期待されているレベルの物。

 

他人へのプレゼントは難しいので(女性側から男性へもかなり難しい。というか同性間でも普通に難しい。ある程度相手の趣味把握してても難しい)

交際半年以上になっても何あげたらいいか分からない人もいると思うがそういう時も彼女に直接、あるいは間接的に聞いてみたらいい。何かヒントが貰えるはずだし

プレゼントに物はいらない、食事や旅行に連れて行って欲しいという子もいるだろう。

ここまで男側からのプレゼントについて書いたけど何も男性からあげるばかりではなくちゃんと交際してるなら普通は彼女からも何か用意があるはずなので、相手と金額をすり合わせるのも重要だ。

 

とりあえず女の子だからこんなかんじ?みたいなよく相手の事を知らないのに、”女の子だから”で選んだんだな…みたいなのが丸出しのものはあんまり嬉しくない。

結局のところそれが一番大きいと思う。

 

さて、4℃のデザインはダサいかダサくないかというと…私はあまり好きではない。

念のために書くが私は風俗無縁の、普通の恋愛してきて一般の会社で働いて割と普通に結婚したアラサーだから今となっては対象年齢外だけど20代の頃もそれほど好きではなかったので3万円程度のネックレスはいくつか持っているが一つも4℃のアイテムは持っていない。

もし私が中学生だったら、「大人が持つものを買ってもらえる」という部分に興奮して喜んだと思う。背伸びしたい年頃だから。

実際4℃ではないが高校生の頃似たようなピンクの石が付いたハートのネックレスを貰ったことはある。多分一万円くらいのものだったと思うけど。

それを眺めるのはとても好きだった。そして、案外これ使いにくいな…と気付いたのは大学生の頃だったと思う。もちろん人にもらった手前それを腐したことはない。

さんざん言われているように4℃の多くのデザインは”10代が持つなら可愛い””20代前半くらいまでならなんとかいける”。

値段的にもターゲットは10代~20代前半女子だと思う。

ファッションに年齢なんて関係ないでしょ!と言いたいが、

男子中学生が着るようなチェーンあみあみ、英字にドラゴン!みたいな厨二男子向けTシャツを、特段イケメンでもない中年おじさんが着ていたら自分だってちょっと避けるだろう。

好きな服を着たらいい。他人にどう思われても気にしなければいい。でも他人がどう思うかは他人の自由だ。

4℃はシンプルで使いやすそうなものもあるが全体的に少女趣味でそもそもトータルコーディネートが難しいデザインが多いな…とは感じる。

トータルコーディネートなんていう概念が薄い、お母さんが買ってきた服着てる中学生がアクセサリーとしてバランス全然考えずにつけるならともかく大人はそうはいかない。

服ジャージの癖にカバンだけルイヴィトンとか、髪ぼっさぼさのノーメイクなのにイヤリングとネックレスだけキラキラじゃらじゃらとか…そういうのはいわゆる「清潔感」がない、下品な人間に映ってしまう。

 

アクセサリーそれ一つで主役になるほど個性的というわけでもインパクトがあるわけでもないが、ピンク、ブルー、グリーンと色とりどりの宝石を使っていたり、はっきりくっきり星とかハートのデザインで主張して来るのでわき役としては浮いてしまう。

アジア人の肌に馴染むのが難しそうなパステル風の色味が淡い宝石を何色も、妙に少女趣味なデザインに使ってたり、逆に馴染む気ゼロな濃い色同士をぶつけてたりするので何色を基準にファッションをまとめていいのかもぼやける…。

 

イエベ・ブルベ、骨スト…という単語は聞いたことがあるだろうか。

イエベブルベはパーソナルカラーと言って、肌や目の色味から似合う色を診断する物であり、骨ストというのは骨格診断。骨の形で似合う服が違うから

自分に似合う色、似合う服をかっこよく着こなす参考にしてね!という診断である。

最近の若い女性はこれを基準に自分に似合うファッションを選ぶことが多く

そこに合わない色味やデザインの物を貰うと扱いには困る。

色も骨格も無視してお洒落に着こなせる人なら、もっと安いアクセサリーでもお洒落に着こなせるだろうし、安くていいならもっと安くて使いやすいものはこの世にたくさんある。

 

4℃がいいのだ、色も骨格も関係ない、好きな物を身につけたい!

自分の好きな物は4℃のデザインだ!という女性ももちろんいるが彼女がそうなのかは聞かないとわからない。

 

アクセサリーは難しい。それは女性ですら感じている。

10代は、アクセサリーが基本的に学校でも禁止されているし

親からのおさがりは10代が持つにはハイブランドすぎたり流行りの通り過ぎたアンティークのようなもので、なかなかラフに着こなすのが難しい。

結果雑貨屋さんの数百円~千円ちょいの流行りのアクセサリーを身に着ける。

まだ10代は身長も伸びて体型も子供体型から大人女性体型に変化するから服も結局数千円のワンシーズンのものだったりするのでトータルのバランスは案外取りやすい。

 

20代、社会人になると突然フォーマルな場所に行くとき、女性は化粧をしっかりして、華やかな装いをすることが「常識」「礼儀正しい」と突き付けられる。

100円のアクセサリーは本物のアクセサリーと並べると流石に違いが分かりすぎて、ちゃんとした場所にちゃんとしたものを持ってこない人は顰蹙を買う。

それまでファッションに興味がなかった人も、全く野放しでいるわけにはいかず

TPOをわきまえた服やアクセサリーを勉強して収集していくことになる

 

30代、母になる人とバリキャリ路線に行く人…そしてどこにも行けなかった人で大きく住む世界が変わってしまう。炎上した婚活女性がどこの人だかは知らないが

難しい年ごろではある。それがデートした相手を笑いものにした免罪符になるとは別に思わないけど。ただ30代で、彼氏でもない人に、頼んでもない若向けのアクセサリー貰うのはこまるというきもちは分かる。

 

私は今年のクリスマスも夫と一緒に買い物をする予定だ。去年はお互い欲しかった電化製品の交換会になったけど、欲しいものは相手に聞かないと夫婦だろうがよくわからん。

好きな食べ物は把握できても、物はその時々でやっぱり変わっていく。

「えっそれ?」みたいなものを欲しがられたり

逆にこっちも何にも思い浮かばなくって、偶然ウィンドウショッピングで見つけたものを買って貰ったりもするし。

 

彼女がどんな服を着ているのかを見ただけで明確に彼女の服に合うアクセサリーを選べるかというと難しいと思うのでやっぱり普通に一回は一緒に買いに行ってウィンドウショッピングでもしながらどんなのが好きか聞く方が無難だと思う。

それが出来ない距離感なら、二人の間にアクセサリーはまだ出番じゃないということで。

 

 

いじめられっこの特徴

「ボッチだった6ヶ月間」というエッセイを読んだ。

中学三年生…思い出作りに熱くなるイベント目白押しの一番きついタイミングで友達と仲違いしボッチになった記録を淡々と綴っている作品だ。

作者は中高一貫校だったらしく何と言うか…周囲の子のイジメ方が普通に賢い。

作者より周囲の子の方が1枚上手。

証拠に残るイジメにはならないラインで無視している。態度にトゲがあるから分類すればイジメなんだけど見方を変えれば大人の対応とすら言える。そんなライン。

物を隠すとか呼びだして罵声を浴びせるとか王道のイジメはせず、あくまで「気が合わないから距離置きましょう」というスタンスで作者を無視するわけだ。本当に賢い子のイジメかただ。本当に賢い子ならいじめをしないと言いたいが賢い子もいじめはする。

しいて言うなら思いやりのある子はいじめないから、賢くて優しくはない子たちなんだろうけど。

 

大人の社会でも、いわゆる陰キャの世界でもどこでも

「気が合わない人と無理して付き合うことはない」方が賢い、正解とされていて

体育会系の「みんな仲良く」「友達100人できるかな」が害悪と呼ばれる時代。

作者はボッチになって勿論つらかったわけだけど

そもそも好きじゃない子と無理して仲良くする必要がない論を支持すると言うことはそういうことだ。その矛先は自分にも向かってくる。

 

事の発端はプリクラの撮影をめぐるトラブル。

仲間と一緒にプリクラを撮る時に自分の顔が好きではなかった作者はスタンプで自分の顔を隠してしまう。

友達としては「仲間との思い出写真」「みんなで落書きをして楽しむもの」だと認識して遊んでいるのに一人だけ意識的に顔を隠されてなんだか変な写真にされてしまうのは不快であり

誰もあなたの顔をそこまで気にしていないから、顔を隠さないで欲しいと要求されるが、自分の顔が嫌いな作者はみんなの意見を受け入れるよりも自分の「プリクラで顔を撮られるのが嫌」を重要視したためこれを拒否。

どちらも悪くはない。

流行っている遊びがしたい中学生

思春期で自分の顔が嫌いになった中学生

どちらの気持ちも理解できるしどちらも自分の意思を通しているだけだ。その結果作者は一緒にプリクラを撮ってもらうことはなくなり、放課後の娯楽と言えば買い食いからのプリクラが定番だった時代にプリクラを拒否したので徐々に仲間に入れて貰えなくなりクラスでも孤立する…が、これも仕方がない。

お互いの要求が合わなかったときに誰が折れるのかはお互いの間で決めること。

メンバーの希望する形での参加を断った作者が「そういうことならメンバーから外れて貰う」と言う結論を出されるのもまた仕方がない。

グループの中に必ずいて欲しい人材であれば「○○ちゃんがいないなら面白くないからプリクラ自体撮るのやめよう」とか「顔を隠して撮っても良いことにしよう」という妥協案も出るだろうが

毎回プリクラに行って一人だけ意識しまくりでスタンプで顔を隠されると、普通になんだか嫌ではある。そもそもプリクラは写っている人間みんなの共有の写真だ。

こういうポーズをみんなで決めたい、こんな落書きやスタンプを使ってデザインしたい等の希望がそれぞれにあり相談しながら進めていくしお金もみんなで払う。1人だけルールを守りたがらない人がいたら、やっぱり嫌だろう。

たかがプリクラ、大したことないようには見えるが要するに一緒に焼肉に行って毎回肉が嫌いだと言って残す人くらいその場のマナーには合わない。

 

さらに作者はそのグループから追い出されたあと断られるのが怖くて他のグループに自分から仲間に入れての一言は言えず相手から来てもらえるのを待ち続けてしまう。

…言うまでもないが幼稚園ではないので仲間外れの子を誘わなければいけない義務はない。しかも時期は中三の秋。中高一貫だから高校受験はないにせよ、ここまで一緒にやって来て気が合う仲間と楽しく最後の思い出作りし始めるラストスパートの頃合いでみんな自分の事で精一杯の時期であり、時間はあってもさほど仲良くもないクラスメートを構う暇はない。

そして他のクラスメートたちは文化祭や修学旅行等のイベント行動時には普通に会話をしてくれていて、あくまで放課後に一緒に遊ぶ仲間に呼ぶほどは親しく思われていないだけ、誘ってほしいのに自分からは切り出す勇気がないので仲間に入れない…これはもう仕方ない。

必ず全員と仲良くしなくてもいいのはお互い様だ。相手にも友達を選ぶ権利はある。

友達ではないクラスメートとしてはおおむね適切な距離を取られているので教師もそれ以上何もしてはくれない。というか出来ない。

「あの子が一人で可哀想だから、お友達側にも言いたいことはあるだろうけど我慢して仲間に戻してあげなさい」と言うのも逆に不公平だ。

あくまでお互いに意見が合わなかった結果破局した。グループのメンバーを説得する材料を作者が持ち合わせていなかったから疎遠になった、自己解決が望ましい。

 

しかもその上作者はとある小説に書かれた「ナイフをポケットに隠し持つことで、自分にはナイフ(お守り)があるから大丈夫と言い聞かせる」描写に感銘を受けて

ナイフの代わりにタバコの空箱を持ち歩くという奇行に出てしまう。

 

これ、文章で説明されたら意味は分かる。強いイメージの物を持つことでその力にあやかると言うか、自分はいざとなったら戦える戦力を隠し持っているのだ、弱くないのだと自己肯定感を高めようとする行為…なんだろうけど、他人から見たらただタバコのごみを持ち歩いている良くない中学生だ。

客観性が悲しいほどにない。他人からどう見られるかプリクラで顔隠すくらい気にする割にはそんなズレたことしちゃうのね…という痛さ。

当然すぐに見つかりタバコを吸っていたと誤解されて騒ぎになってしまい

その後呼び出された作者は教師に無視されていることやタバコは吸っていないことを弁明するが、教師はタバコの件は初犯ゆえ不問としてくれたものの無視については「グループから外れているがイジメには発展していない」ため手出しをせず

作者は教師にも裏切られた気持ちを抱えながら卒業と言う解放を迎える…。

最後に友達が謝りに来たが作者は謝罪を受け入れずに「自分を傷つけたことを、一生気にしてほしい」と願うも、それから数年後に元同級生(グループが違う人)と偶然再会した際、相手は作者が無視されていたことも覚えておらず唯一騒ぎに発展した「煙草」の件だけを記憶しており

「煙草を吸っていたからみんなに避けられてたのはしょうがないよね」と作者の記憶する事実とは全く異なる記憶を持っていたことに愕然とする。

「他人は自分が思うほど自分の事を気にかけてくれてはいない」自意識過剰である、という数年越しの事実をかみしめて読者にも気楽に生きよと呼びかけて終了…

 

…いじめられっ子の特徴がこれでもかと滲んでいるな、とは思った。

そもそもプリクラで一人顔を隠している時点で「自意識過剰」だったわけで、作者は最後の最後まで自意識過剰が治らず、元同級生に出会って初めて他人の意識が自分に向いていないことに気付いて絶望して「気にするだけ無駄みたい、みんなも気にしちゃダメよ」と他人を恨めしく思いながら筆を執っている様子がうかがえるが、

そもそも…他人に期待しすぎなんだよな。

同い年同士だから、自分のわがままを相手が必ず受け入れてくれるとは限らない。

自分から相手に合わせることを放棄しているので一人ぼっちでも文句は言えない。

先生は自分だけを救ってくれる存在ではない。

あとタバコの空箱を持ち歩くという…自意識が爆発しているこの行為

中高一貫である程度落ち着いてる同級生の中で作者だけ少し幼稚というか精神面での成熟が遅かったから浮いた、ということだろうな…。

 

ボッチになってしまった作者はグループ行動する女子たちを恨めしく思っている様子が見て取れるがそもそも作者本人は友達に合わせるのが苦手、というか自意識が過剰過ぎて協調性や客観性には欠ける自分本位タイプ。他人に合わせられないのに他人には自分に合わせろと要求するのは単なる我儘だ。

その我儘は親の育て方にも責任あるだろうなとは思う。タバコの件を見逃してもらった後親は教師たちにお歳暮としてカニを送っている。か、過保護…と言うかなんというか若干ズレてる。うちの子をクビにしないでくれてありがとう、くれぐれもよろしくと言う気持ちは分かるけども気を遣うべきはそこじゃねーっていう。そのズレ方が子供にもそのままコピーされてる感。

 

我儘で自分本位な友達と一緒にいると疲れるので距離を置かれるのは仕方ない。

我儘同士気が向いたときに一緒に遊ぶとか言う距離があっているんだろうけど、そういう人と仲良くなれるかどうかは運とめぐりあわせだし基本地味だからよく観察しないと見つからない。

最初の段階でみんなと騒ぎたいグループに所属を希望した作者はよくいる陽キャに憧れるキョロ充属性で失敗しちゃったパターンと言う感じもする。

 

先生が助けてくれない、というのも中学三年生なら人間関係は自分で思考錯誤していかないといけないしね…とにかく弱って誰かに聴いて欲しいなら保健室に通うという手段もある。その全部突っぱねてボッチを選択するのもまた個人の自由。

 

しかしまあこういう弱者代表から見た系のエッセイって自分が相手に何かを提供したわけじゃないのに相手からは提供されて当たり前と言う感覚の人が多くて閉口する。

何も提供していない、価値がない人間も脅かされない世界であって欲しいのは分かるけど

なんだか不毛だよな

 

 

婚活系ブログやらYouTubeやら

独身時代、何をすれば最短ルートで運命の人に出会えてハッピーエンドを迎えられるのかが知りたかったからこういうサイトはたまに見てたりしてたけど、婚活系のブログや結婚相談所の職員さんのブログ…これ独身者はあんまり見ない方が良いんじゃないかなと今は思う。

もう結婚したから、あるいは焦りのない年齢だからこそある程度エンタメとして楽しめるのが婚活系のコンテンツ。冷静な目で見ると、なんて言うか結婚で失敗しそうな教えがてんこ盛り…。

まず第一に結婚相談所の職員は「成婚させたら勝ち」なビジネスの人である。

とにかく「結婚」が目的だから、目的達成の為には手段を択ばない。

でも手段を択ばないと言っても会員が希望する条件の男女を外で狩って来て売りさばくとかそっち方面ではない。

例えば相談者の趣味がガンダムのプラモ作りって言う男性や、ロードバイクって言う男性、あるいはアニメ好きの腐女子やファッション好きの女性

「そういうのいらないですよ」と。そっち方面に切って捨てるのが職員の仕事なんだろうと思う。

とにかく「結婚させること」が目的で、個人の個性を受け入れてくれる愛する伴侶と出会わせるのが結婚相談所やらの目的ではないから、邪魔な個性なんかいらないってわけだ。

そもそも婚活をする人の多くは自分自身がどんな人間を好きなのかも把握していないままぼんやりと「普通の異性」を求めている。

フツメン男性の定義が星野源だったとテレビで放送されてプチ炎上していたけど

実際女性の思う「フツメン(顔)」は星野源ってのは案外ガチだと思う。

イケメンと言うのは吉沢亮のことを言う。だから顔だけの話をしたら星野源の顔はフツメンだ。

彼が実際にはガッキーを捕まえたとしても、顔はフツメン。それは事実。

新垣結衣を捕まえた星野源がフツメンだと?全然普通じゃねーよww!婚活女高望みwあれはイケメンだ!…というのをよく見たけど実際にはそれは間違いで、

フツメンだからこそ新垣結衣がゲットした…と言うのが正解だと私は思う。

みんなが思うフツメン…みんなが「星野源くらいの顔の男と結婚したい」と思う。

つまり競争率で言うと吉沢亮をはるかに上回るモテ男と言うことになる。

手に入れるには、女側が新垣結衣くらい可愛くて収入もないと勝てない激戦区。

ただしイケメンに限る」というワードがあるように男性はシンプルにイケメン男の方が恋愛で強いと思っているのだろうが、実際に恋愛に一番強いのは能力値の高いフツメンだ。

女心は複雑で、イケメン相手だと「どうせ浮気する」「私なんて選ばれるはずがない…」「クズに決まってる」「イケメン怖い」と警戒心がバリバリに出てくるのに

フツメンだと「この程度で良い」「いいパパになりそう」と自分でも落とせる感が沸いてくるのだ。(失礼な話だ)

 

普通が一番、というのは大昔から「賢い人」がたどり着く答えみたいに言い聞かされて私たちは生きてきた。だから女は普通の男を望む。

これは男もそうだろうなとは思う。普通の男、普通の女と言う名のスーパー激戦区のベストアンサーな人間をゲットする幻想を夢見ている。

 

女の普通って?多分AKBとかそのへん。美女じゃないけどちょっと可愛い。

クラスにいたら好きになっちゃうそんなレベル。

しかも俺だけはこいつの良さが分かる、という特別感を味合わせてくれる普通じゃない普通の女。AKBが全盛期どのくらい人気があったかというと言うまでもない。アイドルは栄枯盛衰激しいからニュアンスがぶれやすいけど。

 

だから相談所系の人が相談に来た男女には「普通の人っぽく振舞え」とアドバイスするんだろうね。

普通が一番モテるから。

 

でも普通ってメチャクチャ難しい。突出した個性も、欠点もない

オール75点の人間なんて逆に超人だ。

婚活の間だけ75点人間の皮を被ったところで破綻は目に見えてるし

個性を意図的に消した相手を好きになれるかと言うと、なれない。

 

婚活をしている友達が、しっくりくる人がいないと言うがそれは仕方ないと思う

思い出して欲しい。

新一年生…中学でも高校でもいい。新しいクラスで一目見て相手の事を好きになった経験はあるだろうか。その人と付き合えた経験は?

少し喋っただけで一生友達でいたいと思うような人には出会えただろうか?

絶対ない。特に婚活してる人にはないと思う。だって一目で恋に落ちた人とそのまま続いて結婚してたら婚活してねーもんw

 

奇跡みたいな確率でしか起きない一目ぼれからの結婚を求めないで

ゆっくり仲良くなれそうな人を選んだ方が良いと思う。こいつならまあそのうち友達になれそうくらいの相手。

 

その時に結婚相談所の職員の言う「結婚できない男女の特徴」を意識する必要はないと思う。普通になんてならなくてもいい。相手に媚びて結婚相手にふさわしい男や女にならなくても構わないと思う。まあ不潔とか借金とかは社会人としてどうかと思うので

そういうのはちゃんとしときなよとは思うけど

お互いの足りない部分を満たしてくれるような、かっちりと完璧にハマる相手なんていない。人間は欠点も長所も多種多様だし。

自分自身結婚に悩んでいた時アナと雪の女王の劇中曲に脳天かち割られるほどの衝撃を受けて結婚を決めた。レリゴーの方じゃなくて「愛さえあれば」

 

問題はある、が仲良くやれるはず。愛があれば。

 

問題のない結婚生活を送りたい、とは誰もが思うだろうけど

そう言うお前の人生に問題ってなにもないの?いや絶対あるだろう。

問題はあるけど相手の事がまあまあ好きだから友達同士も仲良くやれる。

普通が一番!…という日本の出る杭は打たれる価値観が婚活には一番良くないんじゃないかなと思った。

普通は一番難易度が高い

 

毒親・発達障害系のエッセイ

一度試し読みすると広告に無限に出てきたりするので何作か読んでしまった。

毒親発達障害カテゴリーのエッセイ作品。

 

結論から言うと…全部似てるな!?

いやまあそうなんだよね。「発達障害」の人の「人生=エッセイ」というジャンルの本だから癌の人の闘病記録とかと根本は同じ。人生はいろいろあるとは言っても特定の病気を軸にして描かれた作品だし(発達障害は病気ではないがここまで他人が苦労しているものをそれもあなたの個性だよネッと外野が簡単に言い切ってしまうのもどうかと思う次第)ルートって言うのはどうしても似てしまうよね。

しかし毒親は子供に対して何系の毒かで多少バリエーションあるんだけど発達障害の女性作者のエッセイの基本の構成はほぼ同じ。

 

子供の頃から生きづらさを感じ、他人の言葉に傷ついてきた女性(これはクラスメイトの心ない児童だったり親だったりあるいはどっちも)が

”理解のある彼くん”を見つけて幸せになる、これが概要。

 

発達障害があると大抵は人とのコミュニケーションが難しくなり、仕事でも健常と呼ばれている人よりも苦労して、生活苦に陥って、本なんて出してる余裕もないだろうから

「本を出せる発達障害の人」に限定すると配偶者に恵まれるというのが必須項目になってしまうのかもしれない。

 

今の時代「男に依存しないと幸せになれない女」というのは男女ともから白い目でみられがちなのだが、発達障害エッセイの作者さんは若い男女が少ないと言うか

圧倒的に「ハッピーエンドと言ったら結婚、女は男に幸せにしてもらう」という時代を生きたアラフォー以上の女性が多いようには見受けられる。

そしてアラフォー以上の世代の風潮ゆえに余計に結末は偏って、男を見つけて自分の辛さを背負ってもらい、さらにもう自分が無理して働かなくてもいいから今はハッピーです、と叩かれそうな発言を堂々と披露してくる人が多いんだろうな…とも感じる

おそらくだけど10代20代の若い発達障害の人たちは現在進行形の渦中の真っただ中で自分と戦ったりしていて、落ち着いて筆を取れるようになる年齢がアラフォーあたりということもあるんだろう。

あと十年くらいすると次世代の発達障害レポ漫画が出てくるだろうから結末も変わってくるのかもしれない。

そして男性エッセイストが少ないのは…発達障害の人の場合、空気が読めない事から恋愛に発展しづらく理解のある彼女ちゃんに恵まれにくいってことなんだろうな…

 女の場合は「天然ちゃん」と言ってそのズレたところを好む男性が出てくるから結婚相手としての需要もあるんだろうけど、男の天然ちゃんはよっぽどのイケメンか稼げる人でなければなかなか恋愛結婚相手としては需要が薄く

自力で稼げるのならわざわざ苦手な人間関係を結ぶ必要もない

 

今回何作品か見たけれど、発達障害エッセイって

・本人が学校嫌い

・子供がいる場合は子供にも不登校を勧める

・先生への期待値が高すぎる

・他人が自分の望み通りに動いてくれないことに不満を感じすぎる

 

という特徴が共通項目としてあって、どうも見ていてしんどさがある。

主人公に落ち度がなく、かわいそうな目に合っていたり頑張っていれば応援したいという気持ちがわいてくるが、どうにも作者の言動を見ている限りそういう気持ちがわきにくい。

本を出してまで自分は大変だった、みんなも発達障害のことをわかって!そして優しくして!と言いたい人がそういう傾向にあるだけかもしれないけれど

その人たちが「人の中で生きにくさを感じた」部分…

読んでいて「確かにこの人と一緒にいたくない…」「距離を置いてしまいたいな」と主人公たちの敵サイドに共感してしまうわけである。

まず学校嫌いについて、特に診断名もつかず普通に生きていても学校にいい思い出しかない、という人よりはいい思い出も苦い思い出も両方併せ持っている人の方が多いんじゃないだろうか。

思春期の頃に誰かを無視したり、無視されたりという経験が1度はある人の方が多いと思う。いじめっ子として常に強いグループに属し続けて生きてきた人ももちろんいるだろうけど、そっちの方が少数派だ。 

けれど発達障害の人は極端に学校を嫌う。発達障害自体がそういう「極端な」性質を持つ障害だからこれは仕方のないことだとも思うけど

「自分が、発達障害だから、極端に学校を嫌いなんだ」と自分自身の性質を自覚している人よりも「学校が嫌い、学校は理解がない人ばかり、嫌い」と学校側に全責任を押し付けている発達障害エッセイ作者の方がスタンダードなように見えてキツイ

 

そして発達障害のエッセイストに子供がいた場合、発達障害は子供に遺伝しやすいとも聞く通り高確率で子供も発達障害であり、その子供に学校へ行かないように誘導していくのも見ていてつらい。

「学校なんかいかなくても幸せになれますから!」と持論を全開にして

案外子供たちは友達に会いに行ったり勉強したがったりしていても

母親が学校が嫌いだから、母親が先生を嫌いだから、と学校を嫌いまくるせいで親の顔色をうかがう子ほど学校に行けなくなる…それを自分たちでも自覚しているが根っこの部分の主張を撤回は出来ず、子供を学校から遠ざける方向へと体を向ける。

この手のエッセイの人はよく「自分は毒親の被害者だ」と訴えているが当の本人もしっかり毒親になっているのがいたたまれない。

そしてそういう主張で子供を道連れにするエッセイストに対して「あなたの子供が気の毒だ」という目を向ける登場人物が必ず登場するが、その人たちのことを

「自分たち親子の心を傷つける最低の心ない健常者」として描いたりするのがまたしんどい。

「このままじゃ共倒れだ!ちゃんと子供には検査を受けさせて公的サービスを受けろ、申し込んでおいたから!子供だけでも助けろ、病院に行くんだよ」というこういう人たちの行動で発達障害親子は公的な救済システムに辿り着いたりして具体的に救われていったりするのに、方向を指し示してくれた親切な人のことは「自分たちの心を踏みにじる最低な人」扱いのまま。これじゃ親子を助けた人も浮かばれない。

 

色々読んでいるとこの手の登場人物がエッセイストの中で悪と認識されるのは

「子供を助けようとする」からなのだな…というのが分かる。

「私がつらい、子供は付属品」という思考回路が強すぎて

「子供が可哀想」と言われると「じゃあ私は可哀想じゃないの!?私は私の親に何もしてもらえてないのに!?私は!!?」とかみついてしまう

アダルトチルドレンってやつなんだろう。

本人たちが親の顔色を見て、適切に心を育てられないまま大人になって、また自分の子供にそれを強いる虐待の再生産…。

しかも親として子供を支える存在にはなれず、逆に子供がいることが自分の支えになってしまっているから、誰か他人が子供の自立のために、自分から子供を引き離そうとするとパニックになりヒステリーを起こす

 

先生にもきつくあたる。先生は30人の生徒を請け負っているし、学校に来ない子供や問題を抱えた家庭に対して学校だけで対処は出来ない。

家庭内の問題は家庭内で解決させるもので、頼るなら別のところだろう。

そもそも発達障害を抱えているエッセイストたちの多くはパート程度でも疲れているのに、ハードワークの先生たちが疲れないと思っているのか??そこの想像力が全くなさすぎて読めば読むほど学校の先生が気の毒に思えてくる。

40代くらいの大人なのに下手したら小学生よりも大人任せ…

 

先生だけじゃなく他人も、自分に甘く接してくれる人にべったり依存して

常識的な態度を取る人は悪にカウントしていくから世の中に敵がめちゃくちゃ多い

 

これは…大変だわ…。

 

誰しも完璧な人間ではない。それは自分も、他人も。

だから他人に強くあたらないようにしたい…とそれらのエッセイを見て思った。

 

 

 

 

考えると恐ろしい話

何が幸せなのかは人それぞれ、これは大前提として

とある映像を見て「よく考えたらこれって結構怖いな」と思った話をする。

 

その映像は「幸せを絵に描いたような素敵な家族が、とある事件に巻き込まれたことですべての未来を失う」「こんな不幸な事件をなくさなければいけない」「被害者には全く落ち度はない」ということを伝える目的で撮影されたものだ。

 

私自身も当該の映像のご家族については

全く落ち度はなく、こんな事件でもなければそもそも人目に触れることもなかった。事件をきっかけに映像に彼らの生活が撮られたことで主題と関係ない部分で他人に何かを語られるなんて不運であり、特に日本において何かの被害に遭った人間に対して可哀想、お気の毒以外の言葉は全く必要じゃないとわかっているので何の事件について思うことがあったのかは伏せたい。

 

ともかくその事件そのものについてではなく、背景について、よく見てたらこれって怖いなと感じたので日記に書く。

  

今回気になったのは「家」の話。その家族は日本ではよくある1LDKの間取りで子育てをしていた。

夫婦は新婚生活は別の場所でしていて今の家には数年前に引っ越してきたばかりという。つまり映像に映っていた家は一応育児を見据えて借りた家ということになる。

寝室は夫婦と子供が三人一緒に寝るための大きめの一台のベッドだけで埋め尽くされてしまって他に物を置く隙間はない。リビングにはテレビと子供のためのおもちゃや絵本が並んでいる…

 

この映像を見た人々は口々に「理想的な」「あこがれる」家庭だと称した。

…怖い。 

何が恐ろしいって、これ…見える範囲で「夫婦」の持ち物が基本的に何もないってとこだ。押し入れに思い出の品が詰め込まれてはいる様子ではあるが、それも三人の服冬服夏服やら必要な物がぎちぎちに入っているだろうからそんなにいろいろ持ち込めているとも思わない。

実際1LDKは一人暮らしでちょっと広々と住みたい人も借りる程度の間取りで

幼児を含むとは言え三人もの人間が住むのはキツイ。

同棲でも1LDKの選択は間取り次第、賛否両論と言ったところ。落ち着くための家で個人のスペースが取れないとなるとやはりストレスはたまるし喧嘩の原因になる。

当該の事件はコロナ騒動前だから関係なかっただろうけど、今はリモートの職種もそれなりにあるのでこの間取りでは仮に「明日からリモートで仕事しましょう」となった場合のスペースも全く取れない。

 

そんな間取りでも楽しく生活できていた被害者一家はものすごく仲が良かったという証左になるだろうし、どうやら一家は事件に遭わなければ近々また他の土地に転居する予定もあった様子だから、あくまで繋ぎということで大人も我慢出来て、まだ未就学児で自分の部屋を欲しがらない幼児も不満はなかったんだろうけども

うちの親もそうだったから知っている。

赤ちゃんを育てるために一度全部を手放して「親」になって

子供の手がある程度離れて親が自分の時間を取り戻せるようになっても、その頃には何をしたらいいかわからない空の巣症候群になる人がとても多いのだ

そして子供以外何も持たなくなってしまった人間は、子供以外の物を持っている人を攻撃することで自分の人生は正しかったのだと安心を得ようとする。

 

 

狭い家で、自分という物を築き上げて来たであろうそれまでの生活、趣味、持ち物をほとんど捨てて、ただ子育てのためだけの家を作り

それを素晴らしいという…そういう空気に「いや冷静に考えてくれ」と思う

 

だって平たく言ってしまえば「誰でもいい」わけだ。子供を育てられるなら、その両親の個人としての個性や社会人としての一面は全く必要とされてない。

外向きの顔の準備をする余裕のスペースすらない。ひたすら家庭の構成員「父・母」としてだけ生きるための家…そんな…動物じゃないんだから

本当にそうなりたい、と思う今の若者がどれくらいいるだろうか。

今は確かに漫画も音楽も映画もスマホ一台あれば見れる。ゲームだってスマホで出来る。椅子に座れるスペースだけあればなんとかなるのかもしれない

そんな「持たざる」ことを推奨して、何もない家にただ夫婦で住むことを憧れって言っておいて

経済が回らない、景気が悪いなんて当たり前が過ぎる…

 

勿論羨ましいと言っている人たちの目に見えているのは「愛し合う夫婦と可愛がられている幼児が肩を寄せ合って暮らしている姿」だけで

狭い家にぎゅうぎゅうに押し込まれているというところは全く気にしていないのだろう

でも今賞賛したものは「人数オーバーの家に住み個人の私物はほとんどなく子供を育てるだけの環境で楽しそうにすること」であることは事実

 

最近海外の庶民の生活の映像を見た。もちろん海外と言ってもピンキリで

ニューヨークみたいに土地が高い場所に無理やり住もうとすると

今回の家のように人数オーバーでぎちぎち、、になってしまうわけだけど

ほとんどの場合は広い家、個人の趣味を楽しみながらのんびりと暮らすことが推奨されている。

日本って確かに「古き良き日本の心」とか言って家族のあるべき姿、一番ふさわしいあり方みたいに語られがちな昭和も団地にぎちぎちに住んでたのがカッコいいとされてたみたいだし

アジア全体が狭い家にぎちぎちに住んで個人の物は何も持たない、親になったら人間個人としての個性はいらない、趣味など持たない、ただ産み育てるマシーンたれ、産み育てる事こそが至上の幸福であると結論付けろ、というのが当たり前という空気なのかもしれない

 

 まあそれが一番楽しい、という人もいるだろうけど

 

ジェンダーの問題でもよく言われているように「夫の帰りを料理しながら待つだけ、自分は外に出ず意見もしないでただただ、夫の一歩後ろに下がって暮らしたい古いタイプの専業主婦」にあこがれる人、今までの王道を踏襲したい人、変わりたくない保守派の権利に日本はかなり優しくて、変革派には「変わりたいなら自己責任、賛同などしない」と冷たい。

 

この国では永遠に「親となったら趣味も持ち物もすべて捨てろ、子供のためだけに生きろ。男は家庭のATM、女は家庭の奴隷である」という思考は消えず、

趣味を持ち広い家でのびのびと親も自分の好きな歌を歌いながら楽しく個人として暮らす姿を「いい親だね」と言える日は来ないんだろうか

と、どこか暗い気持ちになった