morisankunの日記

アラサー。

考えると恐ろしい話

何が幸せなのかは人それぞれ、これは大前提として

とある映像を見て「よく考えたらこれって結構怖いな」と思った話をする。

 

その映像は「幸せを絵に描いたような素敵な家族が、とある事件に巻き込まれたことですべての未来を失う」「こんな不幸な事件をなくさなければいけない」「被害者には全く落ち度はない」ということを伝える目的で撮影されたものだ。

 

私自身も当該の映像のご家族については

全く落ち度はなく、こんな事件でもなければそもそも人目に触れることもなかった。事件をきっかけに映像に彼らの生活が撮られたことで主題と関係ない部分で他人に何かを語られるなんて不運であり、特に日本において何かの被害に遭った人間に対して可哀想、お気の毒以外の言葉は全く必要じゃないとわかっているので何の事件について思うことがあったのかは伏せたい。

 

ともかくその事件そのものについてではなく、背景について、よく見てたらこれって怖いなと感じたので日記に書く。

  

今回気になったのは「家」の話。その家族は日本ではよくある1LDKの間取りで子育てをしていた。

夫婦は新婚生活は別の場所でしていて今の家には数年前に引っ越してきたばかりという。つまり映像に映っていた家は一応育児を見据えて借りた家ということになる。

寝室は夫婦と子供が三人一緒に寝るための大きめの一台のベッドだけで埋め尽くされてしまって他に物を置く隙間はない。リビングにはテレビと子供のためのおもちゃや絵本が並んでいる…

 

この映像を見た人々は口々に「理想的な」「あこがれる」家庭だと称した。

…怖い。 

何が恐ろしいって、これ…見える範囲で「夫婦」の持ち物が基本的に何もないってとこだ。押し入れに思い出の品が詰め込まれてはいる様子ではあるが、それも三人の服冬服夏服やら必要な物がぎちぎちに入っているだろうからそんなにいろいろ持ち込めているとも思わない。

実際1LDKは一人暮らしでちょっと広々と住みたい人も借りる程度の間取りで

幼児を含むとは言え三人もの人間が住むのはキツイ。

同棲でも1LDKの選択は間取り次第、賛否両論と言ったところ。落ち着くための家で個人のスペースが取れないとなるとやはりストレスはたまるし喧嘩の原因になる。

当該の事件はコロナ騒動前だから関係なかっただろうけど、今はリモートの職種もそれなりにあるのでこの間取りでは仮に「明日からリモートで仕事しましょう」となった場合のスペースも全く取れない。

 

そんな間取りでも楽しく生活できていた被害者一家はものすごく仲が良かったという証左になるだろうし、どうやら一家は事件に遭わなければ近々また他の土地に転居する予定もあった様子だから、あくまで繋ぎということで大人も我慢出来て、まだ未就学児で自分の部屋を欲しがらない幼児も不満はなかったんだろうけども

うちの親もそうだったから知っている。

赤ちゃんを育てるために一度全部を手放して「親」になって

子供の手がある程度離れて親が自分の時間を取り戻せるようになっても、その頃には何をしたらいいかわからない空の巣症候群になる人がとても多いのだ

そして子供以外何も持たなくなってしまった人間は、子供以外の物を持っている人を攻撃することで自分の人生は正しかったのだと安心を得ようとする。

 

 

狭い家で、自分という物を築き上げて来たであろうそれまでの生活、趣味、持ち物をほとんど捨てて、ただ子育てのためだけの家を作り

それを素晴らしいという…そういう空気に「いや冷静に考えてくれ」と思う

 

だって平たく言ってしまえば「誰でもいい」わけだ。子供を育てられるなら、その両親の個人としての個性や社会人としての一面は全く必要とされてない。

外向きの顔の準備をする余裕のスペースすらない。ひたすら家庭の構成員「父・母」としてだけ生きるための家…そんな…動物じゃないんだから

本当にそうなりたい、と思う今の若者がどれくらいいるだろうか。

今は確かに漫画も音楽も映画もスマホ一台あれば見れる。ゲームだってスマホで出来る。椅子に座れるスペースだけあればなんとかなるのかもしれない

そんな「持たざる」ことを推奨して、何もない家にただ夫婦で住むことを憧れって言っておいて

経済が回らない、景気が悪いなんて当たり前が過ぎる…

 

勿論羨ましいと言っている人たちの目に見えているのは「愛し合う夫婦と可愛がられている幼児が肩を寄せ合って暮らしている姿」だけで

狭い家にぎゅうぎゅうに押し込まれているというところは全く気にしていないのだろう

でも今賞賛したものは「人数オーバーの家に住み個人の私物はほとんどなく子供を育てるだけの環境で楽しそうにすること」であることは事実

 

最近海外の庶民の生活の映像を見た。もちろん海外と言ってもピンキリで

ニューヨークみたいに土地が高い場所に無理やり住もうとすると

今回の家のように人数オーバーでぎちぎち、、になってしまうわけだけど

ほとんどの場合は広い家、個人の趣味を楽しみながらのんびりと暮らすことが推奨されている。

日本って確かに「古き良き日本の心」とか言って家族のあるべき姿、一番ふさわしいあり方みたいに語られがちな昭和も団地にぎちぎちに住んでたのがカッコいいとされてたみたいだし

アジア全体が狭い家にぎちぎちに住んで個人の物は何も持たない、親になったら人間個人としての個性はいらない、趣味など持たない、ただ産み育てるマシーンたれ、産み育てる事こそが至上の幸福であると結論付けろ、というのが当たり前という空気なのかもしれない

 

 まあそれが一番楽しい、という人もいるだろうけど

 

ジェンダーの問題でもよく言われているように「夫の帰りを料理しながら待つだけ、自分は外に出ず意見もしないでただただ、夫の一歩後ろに下がって暮らしたい古いタイプの専業主婦」にあこがれる人、今までの王道を踏襲したい人、変わりたくない保守派の権利に日本はかなり優しくて、変革派には「変わりたいなら自己責任、賛同などしない」と冷たい。

 

この国では永遠に「親となったら趣味も持ち物もすべて捨てろ、子供のためだけに生きろ。男は家庭のATM、女は家庭の奴隷である」という思考は消えず、

趣味を持ち広い家でのびのびと親も自分の好きな歌を歌いながら楽しく個人として暮らす姿を「いい親だね」と言える日は来ないんだろうか

と、どこか暗い気持ちになった